中国、河北(かほく)省北西部の地級市。宣化(せんか)区など6市轄区、蔚(い)県など10県を管轄(2017年時点)し、人口468万6000(2014)。
市は、永定河(えいていが)の上流の一つである洋河(ようが)が、山西(さんせい)省、内モンゴル自治区より太行(たいこう)山脈の北部を開析して河北平野に向かう天然の関門をなし、河北省を防御する長城線上の最重要な位置の一つであった。すでに南北朝時代から郡県が設置され、以後廃設を繰り返していたが、明(みん)代に北京(ぺキン)へ都が移されモンゴルとの関係が緊張すると、現在の宣化区の地を軍事拠点として万全(ばんぜん)都指揮使司が置かれた。また区域内の地形的に堅固な所には多くの堡塞(ほうさい)が設けられた。なかでも1429年に築かれた張家口堡(ほ)は、モンゴルとの関係が安定した清(しん)代には公式の税関が設けられ、大同(だいどう)にかわって東部におけるモンゴルとの貿易の中心(西部での中心は帰化城(きかじょう)、いまのフフホトであった)になるとともに、漢民族の農民や商人のモンゴル開拓の基地となった。清末にロシアと結ばれた陸路の通商条約のなかで張家口は交易地に指定され、シベリアのキャフタより庫倫(クーロン)(ウランバートル)を経て北京へ至るロシア商人の拠点となり、西洋にもカルガン(モンゴル語で関門を意味する)の名で知られた。中華民国になりモンゴルとの境界領域に特別区が設けられると、張家口には万全県が置かれ、チャハル特別区(のち省に昇格)の中心となり、1939年張家口市となった。中華人民共和国成立後の1952年、省は廃止され市は河北省に編入された。
かつては内陸部の通商基地として、モンゴルから輸入される皮革、羊毛、じゅうたんなどや、モンゴルへ輸出される茶、布、陶磁器などの集積地となり、皮革工業、製塩業なども盛んであった。現在は京包線(北京―パオトウ)が通るため、中継交易の機能は衰えたが、伝統的軽工業のほかに付近の天然資源を利用した重工業もおこり、河北省北西部の中心都市として発達している。宣化区には大規模な鉄山(竜煙(りゅうえん)鉱山)があり、1919年設立の宣化鋼鉄集団(旧、竜煙鉄鉱公司)が本拠を置く。万里の長城の関門であった大境門をはじめ名勝、旧跡も多い。
[秋山元秀・編集部 2018年1月19日]
中国,河北省北西部の省直轄市。人口90万(2000)。京包鉄道(北京~包頭)に沿い,華北と内モンゴルを結ぶ長城内外の交通の要衝に位置する商工業都市。カルガンの名でも知られる。この地は北方遊牧民族の中国への重要な侵入路であった。遼,金,元の諸王朝もこの地を通って中国へ侵入をはかって,中国の北方,また全地域を支配した。明代モンゴルの来襲を防ぐため張家口堡が築かれ,清代張家口庁がおかれた。明・清時代は西の帰化城(フフホト)と並んで対モンゴルの貿易地として重要であった。民国に万全県県治。1928年以後一時チャハル(察哈爾)省の省都でもあった。39年張家口市となり,55年宣化市を合併,現在橋西,橋東,宣化,下花園の4区よりなる。下花園には炭鉱がある。内モンゴルの皮,毛など畜産物,薬材と,河北省の食糧,ゴマなどの集散交易地として発達したが,現在は鉱山機械,地質探査機器などの機械工業や,鉄鋼,化学,紡織,皮革,製紙,製粉,油脂,アルコール,その他の食品などの工業が発達し,下花園に火力発電所がある。また河北地質学院などの高等専門学校も設けられている。
執筆者:河野 通博
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…1914年,チャハル特別区が設けられ,28年省が置かれた。チャハルの名を冠するが,モンゴル族のチャハル部8旗が全部包括されるのでなく,右翼4旗とシリンゴール(錫林郭勒)盟各旗が含まれ,ほかに省都張家口市をはじめ,懐来,宣化,懐安,商都,多倫,沽源などの各県が管内にあった。竜烟の鉄山も本省に属していた。…
※「張家口」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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