日本歴史地名大系 「徳倉城跡」の解説
徳倉城跡
とくらじようあと
徳倉の北部、
花押型によって天正九年と考えられる八月一三日の北条氏政書状(服部玄三氏所蔵文書)に「徳倉之普請」とみえる。五日後の八月一八日の北条氏政書状(吉田履一郎氏所蔵文書)ではこの普請を「新城」としているので、当城はこのとき築城されたと考えられ、いわゆる戸倉合戦とは、この北条氏の新城普請に対する武田側の反撃であった。
徳倉城跡
とくらじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報