志方益三(読み)シカタ マスゾウ

20世紀日本人名事典 「志方益三」の解説

志方 益三
シカタ マスゾウ

大正・昭和期の電気化学者,林産化学者 元・名古屋大学教授。



生年
明治28(1895)年8月10日

没年
昭和39(1964)年5月8日

出生地
埼玉県

学歴〔年〕
東京帝大農学部農芸化学科〔大正9年〕卒

学位〔年〕
農学博士〔昭和3年〕

主な受賞名〔年〕
日本農学賞〔昭和27年〕,日本学士院賞恩賜賞〔昭和31年〕

経歴
理化学研究所に入り、大正10年欧州に留学、12年プラハでJ.ヘイロフスキーの水銀滴下電極の研究に参加、13年水銀滴下電極による電解電流電圧曲線を自記するポーラログラフを完成した。(ヘイロフスキーは34年にノーベル賞を受賞)。13年に帰国、京都帝大助教授となり、14年教授。昭和17年満州国大陸科学院副院長に就任、林産化学の研究と同国の農政に参加。敗戦で中国に留用され28年まで中国科学の発展に寄与。帰国後29年名古屋大学教授、34年退官。この間、昭和3年に「水銀滴下極ニ依ルニトロベンゾールノ電解ニ就テ」で農学博士。金属分析法として世界的に認められたポーラログラフ法創案などの業績で27年日本農学賞、31年日本学士院恩賜賞を受賞した。また林産化学関係では、満州カラマツから亜硫酸法により人絹パルプの製造に成功した。著書に「有機電気化学」「化学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「志方益三」の意味・わかりやすい解説

志方益三
しかたますぞう
(1895―1964)

化学者。東京都出身。東京帝国大学農学部農芸化学科卒業(1920)。大学在学中より鈴木梅太郎師事、卒業後も創立されたばかりの理化学研究所に入り鈴木梅太郎のもとで研究を行った。その後ヨーロッパに留学し、チェコスロバキアのカール大学でヘイロウスキーに出会い、滴下水銀電極の研究に興味をもった。1923年(大正12)ふたたび彼の研究室を訪れ、研究に参加、ニトロベンゼンの滴下水銀電極による酸化還元の研究を完成し、さらに加電圧電解電流曲線を自記化する装置の製作に取り組み、ヘイロウスキー‐志方型の直流ポーラログラフィーを創案した。この方法は、電気分析法の一種で、溶液中の化学種の分析に使われる。1924年秋、第2号機をもって帰国。京都帝国大学で研究を進めた。1942年(昭和17)満州国(現、中国東北地区)大陸科学院に転出。1954年(昭和29)名古屋大学教授となり、1959年に退官。1956年学士院恩賜賞を受けた。

荒川 泓]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「志方益三」の解説

志方益三 しかた-ますぞう

1895-1964 大正-昭和時代の化学者。
明治28年8月10日生まれ。理化学研究所にはいり,のちチェコスロバキアに留学。金属イオンの析出電位を研究し,ポーラログラフィーによる分析法を確立した。京都帝大教授,名大教授。昭和31年学士院恩賜賞。昭和39年5月8日死去。68歳。埼玉県出身。東京帝大卒。

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367日誕生日大事典 「志方益三」の解説

志方 益三 (しかた ますぞう)

生年月日:1895年8月10日
大正時代;昭和時代の電気化学者;林産化学者。名古屋大学教授
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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