小説家。高知県生まれ。本名川村光暁(みつあき)。高知商業高等学校卒業。20歳のころ結核を発病し、進学も就職も思うにまかせぬまま、日雇い仕事などで糊口(ここう)をしのぐ生活を送る。その後、公務員試験を受け合格、刑務所の事務職員に採用されるが、26歳のときに上京。そのきっかけは、読売新聞社が毎月募集していた短編小説の懸賞に二度入選したことだった。
上京してからはライターとして活躍。記者が取材した原稿をまとめるアンカーマンと呼ばれる仕事をしたり、友人たちと編集プロダクションを設立し単行本の企画、編集を手がける。しかし、40歳を迎えるあたりから将来の生活設計に不安を感じ始め、小説の世界に転身を図ってゆく。「ライターというのは、年を取ると大きな顔はできるけど、現実の仕事は減って収入がどんどん先細りになっていくわけだ。編集者はどんどん若返りしていくし、二十四、五の編集者は四十歳のライターを使いにくいでしょう。四十を前にしたとき、このまま五十までいったらアウトだと焦って、何でもいいから働こうと、普通の会社、受けに行ったこともある」(大沢在昌著『エンパラ』(1996)所収の対談より)。
2年がかりで書き上げたデビュー作『飢えて狼』(1981)は、ライター時代に集めていた北方領土関係の資料をもとにしたものだった。当初はガイドブックをつくろうと考えていたが、個人の力では実現は難しく、それならばと小説に仕立てたのである。元登山家の主人公が陰謀に巻き込まれ、択捉(エトロフ)島に潜入、やがて命懸けの脱出行の末、自分をおとし入れた組織への復讐に転じるというストーリーも評判を呼んだが、それ以上に読者を驚嘆させたのは、これまでの日本人作家には見られなかった華麗にして緊密な文体であった。無駄な描写が一切なく、人物造形にすぐれ、自然描写にもたけている。これほどの実力をもつ新人作家は珍しかった。続く第二作『裂けて海峡』(1983)では、ユーモアあふれた会話と感傷的な詠嘆調の美文も加わって、その文体は「志水節」と称されるようになる。シリアスなハードボイルド・タッチの作品には『散る花もあり』(1983)、『尋ねて雪か』(1984)、『背いて故郷』(1985。日本推理作家協会賞)、『狼でもなく』(1986)、『行きずりの街』(1990)などがあり、いずれも高水準を保っている。その一方で、スラプスティック・コメディを意識したかのようなコミカルな冒険小説『あっちが上海(シャンハイ)』(1984)、『こっちは渤海(ぼっかい)』(1988)なども発表。その後も一作ごとに読者の期待を意図的に裏切る設定の作品を発表し、「稀代のへそ曲がり作家」との異名もとる。『背いて故郷』『帰りなん、いざ』(1992)が直木賞候補になり、日常生活における身近な人たちの死をテーマにした短編集『いまひとたびの』(1994)で3回目の直木賞候補となる。2001年(平成13)『きのうの空』で柴田錬三郎賞を受賞。
[関口苑生]
『『きのうの空』(2001・新潮社)』▽『『飢えて狼』『裂けて海峡』『散る花もあり』(講談社文庫)』▽『『尋ねて雪か』『狼でもなく』(徳間文庫)』▽『『背いて故郷』(双葉文庫)』▽『『行きずりの街』『いまひとたびの』(新潮文庫)』▽『『あっちが上海』『こっちは渤海』(集英社文庫)』▽『大沢在昌著『エンパラ――旬な作家15人の素顔に迫るトーク・バトル』(光文社文庫)』
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