情念論(読み)じょうねんろん(英語表記)Traité des passions de l'âme

日本大百科全書(ニッポニカ) 「情念論」の意味・わかりやすい解説

情念論
じょうねんろん
Traité des passions de l'âme

デカルトの最後の著作。1649年刊。人間の情念(感情)を心理学的かつ生理学的に考察し、道徳の問題に説き及んでいる。本書は、ドイツからオランダに亡命していたエリザベート王女の質問をきっかけとして書かれた。王女は、デカルトの精神と物体(=身体)の二元論において、心身合一体としての人間が占める位置が問題となることを鋭く指摘した。そこでデカルトは、心身合一体に特有な意識である感情の考察に向かうことになった。感情は身体によって引き起こされる意識状態、すなわち「精神の受動」passion de l'âmeである。さてデカルトは、情念(=受動)のうち、驚き、愛、憎、欲望、喜び、悲しみの六つを基本的なものとし、心理学的に分析する。他の諸情念は、基本的情念の複合として説明される。また、情念は動物精気(血液中の微細物質)が精神の座である松果腺(しょうかせん)に作用した結果生じるものとされ、その機構が生理学的に記述される。このように情念のメカニズムを客観的、機械的に認識することによって、情念を自由意志の手段とすることが可能となる。自由意志を正しく使用し、情念を支配することが、高邁(こうまい)という最高の徳につながると結論される。

[香川知晶]

『伊吹武彦訳『情念論』(角川文庫)』『野田又夫訳『デカルト 方法序説・情念論』(中公文庫)』『花田圭介訳『デカルト著作集3』(1973・白水社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「情念論」の意味・わかりやすい解説

情念論
じょうねんろん
Les passions de l'âme

フランスの哲学者ルネ・デカルト最後の著作。 1649年刊。 45年デカルトは,かねて文通していた流浪のボヘミア王女エリザベトの求めに応じて道徳論を書簡によって論じはじめたが,やがて中心課題は情念の問題となり,翌年にかけての冬の間に『情念論』 (デカルトはほとんどの場合 Traité des passionsと呼んでいる) の第1稿が完成した。 47年初頭スウェーデン女王クリスチナの諮問に答えて至高善と愛を論じ,あわせてこの小論を献じた。著者には公刊の意図はなかったが,パリの友人の強い要望で,加筆のうえ 49年アムステルダムとパリで初版が刊行された。命題とその解釈よりなるスコラ的節構成の全 212節が3部に分れている。第1部は人間精神の諸機能のなかでの情念の位置づけ,第2部は驚き,愛,憎しみ,欲望,喜び,悲しみの6つの原初的情念を,第3部はそれらの合成よりなる個別的情念を扱っている。著者は精神の受動としての情念をおのれの二元論のなかで位置づけ,さらにそれを生理学的に基礎づけることによって,個々の情念の得失を考えたうえでそれに対する処置を引出そうとした。デカルトの道徳論の中核をなす (第3部にある高邁についての理論は特に有名になった) と同時に,最晩年のデカルトの思想の展開をうかがわせる書物である。

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世界大百科事典(旧版)内の情念論の言及

【感情論】より

…広義の感情についての理論的な考察。広義の感情のなかには,情動,情念,それと狭義の感情が含まれるから,感情論には,情動(情緒)論や情念論も含まれることになる。そこで,情動と情念と感情の区別であるが,まず情動とは,身体的なものにまで影響を及ぼすような強い感受的状態のことである。…

【情念】より

…このような情念が人間理性に対立するものとしてとらえられるようになったのは,近代世界になってからである。そこではデカルトの《情念論》が示すように,情念は心身関係における〈身体の働きかけによる心の盲動〉,つまり身体に原因する心の乱れとして,否定的にとらえられたのだった。しかし現在では,情念,さらには〈パトスの知〉は心身合一の見地から,身体性をもった具体的な人間のありようを示すものとして見直されるようになってきている。…

【デカルト】より

…41年には形而上学の主著《省察》が,ホッブズ,アルノー,ガッサンディらの〈反論〉と著者の〈答弁〉を付けて刊行され,44年には自然学をも含むその体系のほぼ全容を示す《哲学の原理》が出版された。また43年以後ファルツ選挙侯の王女エリーザベトへの書簡を通じて道徳に関する省察を深め,そこから49年の《情念論》が生まれた。そしてこの最後の作品出版の年の秋,スウェーデンのクリスティーナ女王に招かれてストックホルムに行き,翌年2月肺炎のため同地で急死した。…

※「情念論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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