日本大百科全書(ニッポニカ) 「成田線」の意味・わかりやすい解説
成田線
なりたせん
東日本旅客鉄道の線路名称。千葉県、佐倉―成田―松岸間75.4キロメートルおよび成田―我孫子(あびこ)間32.9キロメートル、成田―成田空港間10.8キロメートルよりなる。このうち成田線分岐点―成田空港間8.7キロメートルは他社の施設を借りて事業を行う第2種開業線であり、成田空港高速鉄道の線路を使用している。佐倉―成田間13.1キロメートルのみ複線、全線直流電化。利根(とね)川南岸地域を走り、沿線に成田、佐原などの都市があって、成田山新勝寺(しんしょうじ)への参詣(さんけい)客輸送を担う。また、佐倉―成田間と我孫子―成田間では東京大都市圏の外縁地帯として住宅化が著しく、通勤輸送の比重が高い。1991年(平成3)3月の成田空港乗り入れ後は、首都圏と成田国際空港を結ぶ空港アクセス鉄道としての役割も大きい。佐倉―成田―佐原間は1897~1898年(明治30~31)、我孫子―成田間は1901年(明治34)、いずれも成田鉄道によって開業し、1920年(大正9)国有化されて成田線となった。佐原―松岸間は1932~1933年に開業した。佐倉と松岸から総武本線に乗り入れて、それぞれ千葉方面や銚子(ちょうし)へ列車の直通運転が行われ、我孫子―成田間では区間運転とともに常磐(じょうばん)線を経由して上野からの直通列車も走る。しかし、1926年(大正15)以降、京成電気軌道(現、京成電鉄)が東京―成田間を直結すると、成田参詣客の主流は成田線からは離れた。とはいえ、全国の成田講の団体輸送などに成田線の役割は大きく、1968年(昭和43)の新勝寺開基1300年祭にあわせた新本堂の落成とこれに伴う参詣客の増加に対処して、佐倉―成田間が電化され、さらに1973年に我孫子―成田間、翌年に成田―松岸間も電化された。1987年、日本国有鉄道の分割民営化で、東日本旅客鉄道に所属。
[青木栄一・青木 亮]