知恵蔵 「戸塚ヨットスクール」の解説
戸塚ヨットスクール
スクールの訓練の厳しさから79年には13歳の少年が病死、80年には21歳の青年が死亡。82年11月には奄美大島の合宿からの帰途のフェリー船から15歳の少年2名が逃亡のため海に飛び込み行方不明。同年12月には13歳の少年が死亡した。このため83年愛知県警は戸塚宏とコーチのほぼ全員を逮捕し、名古屋地検は最初の病死事件以外を傷害致死罪、監禁致死罪で関係者15名を起訴した。このためスクールは一時閉鎖に追い込まれたが、86年戸塚宏が3年ぶりに保釈されて再開。87年には「戸塚ヨットスクールを支援する会」が石原慎太郎を会長として発足した。92年名古屋地裁は、戸塚宏に懲役3年執行猶予3年などの「寛大判決」(『読売新聞』見出し)を下すが、検察側、弁護側が共に控訴。97年名古屋高裁は戸塚宏に懲役6年、コーチ3人にも実刑判決を下し、弁護側が上告した。2002年最高裁は上告を棄却し、戸塚宏とコーチ3人が収監され、ヨットスクールは残ったコーチで活動を続けた。06年4月、戸塚宏は満期出所し校長の活動に復帰している。同06年10月にはうつ病で通院中の男性の訓練生が行方不明となり海で水死体として発見され、09年10月には女性の訓練生が寮の3階から飛び降りて死亡するという事件も起きたが、警察は後件は自殺と断定し、前件も犯罪性がない自殺もしくは事故として処理した。
戸塚宏は、青少年の問題行動は脳幹の機能低下により引き起こされるのだから、海上の訓練で生死の恐怖を与えることで、本能的な脳幹機能を回復することが必要であり、体罰も教育として必要という独特な教育論を持説としているが、判決後の現在は、ヨットスクールでは体罰は行われていないという。
(秋津あらた ライター / 2009年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報