手越宿(読み)てごしのしゅく

百科事典マイペディア 「手越宿」の意味・わかりやすい解説

手越宿【てごしのしゅく】

駿河国にあった中世宿駅。手越駅ともいう。現在の静岡県静岡市手越は安倍川右岸にあるが,中世には同川に合流する藁科(わらしな)川の右岸に位置していた。《吾妻鏡》治承4年(1180年)10月16日条によれば,源氏追討をめざす平維盛(これもり)の軍勢数万が〈手越駅〉に到着している。1189年手越平太家綱は奥州征伐の戦功により源頼朝から麻利子(まりこ)(現静岡市丸子(まりこ))を与えられ,駅家(うまや)の建設を許可されているが,家綱は当地の武士であろう。中世を通じて《海道(かいどう)記》などの紀行文にその名がみえる。南北朝内乱期には,足利直義(ただよし)軍と北条時行(ときゆき)軍,また足利直義・高師泰(こうのもろやす)軍と新田義貞軍が手越河原で合戦を行っている。近世には府中駿府(すんぷ))と丸子に東海道の宿駅が設置され,その中間にあたる手越は宿駅としての機能を失い,駿河国安倍郡手越村となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「手越宿」の意味・わかりやすい解説

手越宿 (てごしのしゅく)

駿河国(静岡県)の中世の宿駅。現在,静岡市駿河区手越は安倍川右岸に位置するが,中世には藁科川右岸にあり,すでに平安時代末期には駿河国府への渡頭集落として栄えていた。《吾妻鏡》によれば,1180年(治承4)に源氏追討をめざす平家軍が手越駅に到着しており,また89年(文治5)には手越平太家綱というものが,戦功によって源頼朝から麻利子(丸子)を賜り,駅家の建設を許されている。以後,《海道記》の手越の宿をはじめ,中世を通じて紀行文などにその名がみえる。なお,平重衡と宿長者の娘千手前の物語は,謡曲千手(せんじゆ)》で名高い。南北朝内乱初期,1335年(建武2)7月には北条時行軍と足利直義軍が,また同年12月には新田義貞軍と足利直義・高師泰軍とが,それぞれ手越河原で激戦を展開した。近世には,府中(駿府)と丸子に宿駅が設置されたため,手越は直接的な宿駅機能は果たさなかったが,手越村は天領となり,安倍川の川越(かわごし)人足役を務めた。
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