南北朝時代の武将。師直(もろなお)の弟。元弘の変(げんこうのへん)(1331)以来足利尊氏(あしかがたかうじ)に従って活躍、足利政権の侍所(さむらいどころ)として執事である兄師直とともに尊氏を支えた。1337年(延元2・建武4)には越前(えちぜん)金ヶ崎城(かながさきじょう)(福井県敦賀(つるが)市)に新田義貞(にったよしさだ)を攻めてこれを陥れ、1348年(正平3・貞和4)には師直とともに楠木正行(くすのきまさつら)を河内(かわち)四條畷(しじょうなわて)(大阪府四條畷市)に破る(四條畷の戦い)など、各地に転戦して殊功をあげた。一方、河内磯長(しなが)の太子廟(たいしびょう)を焼いたり、掃部寮(かもんりょう)領河内大庭(おおば)(同守口市)を横領したり、公卿(くぎょう)菅原在登(すがわらのありのり)父子を些細(ささい)なことから暗殺するなど、世人の指弾を受ける行為も多かった。1349年(正平4・貞和5)ころから足利直義(あしかがただよし)らと師直・師泰兄弟の不和が深まり、1351年(正平6・観応2)2月26日、摂津武庫川(むこがわ)で直義派の上杉能憲(うえすぎよしのり)のために一族とともに討たれた。
[池永二郎]
(伊藤喜良)
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南北朝時代の武将。高師直の弟。建武政府下では雑訴決断所衆。足利尊氏の侍所頭人。官途は尾張権守を経て越後守。尾張,越後,河内,和泉の守護を歴任。引付頭人。妻は尊氏の母清子の妹。南北朝の動乱期には終始尊氏党に属し師直とともに行動し,1337年越前金崎(かねがさき)城,48年河内四条畷(しじようなわて)の戦など南朝軍との合戦で活躍したが,観応(かんのう)の擾乱(じようらん)に際し師直ら一族とともに切られた。
執筆者:森 茂暁
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