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高師泰 こうのもろやす

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高師泰
こうのもろやす

[生]?
[没]正平6=観応2(1351).2.26. 摂津
南北朝時代の武将。高師直の弟。室町幕府侍所の所司。足利尊氏に従い,延元1=建武3 (1336) 年新田義貞のこもる越前金崎城を落すなど,諸所で戦功を立て,執事師直とともに権勢をほしいままにしたが,観応の擾乱後,兄とともに上杉能憲に殺された。

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百科事典マイペディアの解説

高師泰【こうのもろやす】

南北朝時代の武将。侍所頭人(さむらいどころとうにん)。官途は尾張守・越後守,尾張・越後・河内・和泉の守護を歴任。兄高師直(こうのもろなお)とともに終始足利尊氏方として行動し,1337年越前金崎(かねがさき)城,1348年河内四条畷(しじょうなわて)の戦などで活躍したが,1351年摂津武庫川(むこがわ)で殺害された。
→関連項目蒲御厨手越宿

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高師泰 こうの-もろやす

?-1351 鎌倉-南北朝時代の武将。
兄の高師直(もろなお)とともに室町幕府成立に貢献する。建武(けんむ)4=延元2年(1337)越前(えちぜん)(福井県)金崎城で新田義貞を,貞和(じょうわ)4=正平(しょうへい)3年(1348)河内(かわち)(大阪府)四条畷(しじょうなわて)で楠木正行(まさつら)をやぶる。のち足利直義(ただよし)と対立し,観応(かんのう)2=正平6年2月26日直義方の上杉能憲(よしのり)に討たれた。通称は四郎刑部丞,左衛門尉。

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朝日日本歴史人物事典の解説

高師泰

没年:観応2/正平6.2.26(1351.3.24)
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。師重の子。師直の兄弟。尾張守,越後守。越後,尾張,和泉,河内等の守護。建武1(1334)年雑訴決断所の四番方の奉行となる。2年7月に中先代の乱が信濃から起こり,鎌倉の足利直義が敗れると,足利尊氏に従って関東に下った。箱根で新田義貞軍を破り,義貞を追って上洛したが,後醍醐軍に敗れて,尊氏と共に九州に下向した。翌年5月には直義に従い,陸路東上して湊川で楠木正成らを討った。室町幕府成立後,侍所頭人として幕府の中枢の地位を占めた。以後各地を転戦する。建武4/延元2年には新田義貞を越前金ケ崎城に攻めてこれを落とし,上洛してきた北畠顕家の奥羽軍と遠江,美濃の各地で戦った。貞和3/正平2(1347)年楠木正行と和泉,河内で戦い,翌年河内の四条畷でこれを破り,吉野を攻めた。この間,引付頭人として訴訟にも携わった。横暴な挿話も伝えられている。正行を破った折,河内の聖徳太子廟を焼いたとか,東山に山荘を造るために菅原家の代々の墓所を掘り返し,のちに所有者の菅原在登を殺害したというような話である。観応の擾乱で一時は直義派を圧倒し,観応1/正平5年直義与党を討つため中国地方に出陣したが,翌年2月に尊氏,師直と共に直義軍と播磨で戦って敗れ,負傷して降人となり,師直や一族と共に殺害された。

(伊藤喜良)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

こうのもろやす【高師泰】

?‐1351(正平6∥観応2)
南北朝時代の武将。高師直の弟。建武政府下では雑訴決断所衆。足利尊氏の侍所頭人。官途は尾張権守を経て越後守。尾張,越後,河内,和泉の守護を歴任。引付頭人。妻は尊氏の母清子の妹。南北朝の動乱期には終始尊氏党に属し師直とともに行動し,1337年越前金崎(かねがさき)城,48年河内四条畷(しじようなわて)の戦など南朝軍との合戦で活躍したが,観応(かんのう)の擾乱(じようらん)に際し師直ら一族とともに切られた。

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大辞林 第三版の解説

こうのもろやす【高師泰】

?~1351) 南北朝時代の武将。師直の弟。師直とともに観応かんおうの擾乱じようらんの中心人物。足利直義軍に敗れ、一族とともに謀殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高師泰
こうのもろやす
(?―1351)

南北朝時代の武将。師直(もろなお)の弟。元弘の変(げんこうのへん)(1331)以来足利尊氏(あしかがたかうじ)に従って活躍、足利政権の侍所(さむらいどころ)として執事である兄師直とともに尊氏を支えた。1337年(延元2・建武4)には越前(えちぜん)金ヶ崎城(かながさきじょう)(福井県敦賀(つるが)市)に新田義貞(にったよしさだ)を攻めてこれを陥れ、1348年(正平3・貞和4)には師直とともに楠木正行(くすのきまさつら)を河内(かわち)四條畷(しじょうなわて)(大阪府四條畷市)に破る(四條畷の戦い)など、各地に転戦して殊功をあげた。一方、河内磯長(しなが)の太子廟(たいしびょう)を焼いたり、掃部寮(かもんりょう)領河内大庭(おおば)(同守口市)を横領したり、公卿(くぎょう)菅原在登(すがわらのありのり)父子を些細(ささい)なことから暗殺するなど、世人の指弾を受ける行為も多かった。1349年(正平4・貞和5)ころから足利直義(あしかがただよし)らと師直・師泰兄弟の不和が深まり、1351年(正平6・観応2)2月26日、摂津武庫川(むこがわ)で直義派の上杉能憲(うえすぎよしのり)のために一族とともに討たれた。[池永二郎]

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