静岡市と山梨県
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
静岡・山梨県境の安倍峠に源を発し,静岡市域を南流して静岡平野の南の中島で駿河湾に流入する川。幹川流路延長51km,全流域面積567km2。おもな支流には上流から安倍大谷(おおや)川,安倍中河内川,足久保川,藁科(わらしな)川,丸子川などがある。本流が流域の東寄りに偏っているため,これらの支流はいずれも北西(右岸)側から流入しており,北東(左岸)側から流入する支流は短小な急流に限られる。安倍川の本流は赤石山脈の南東部に深いV字谷をうがってほぼ直線状に南流しているが,その東側には十枚山(1725m)から真富士山~竜爪(りゆうそう)山(薬師岳,文珠岳)~賤機(しずはた)山へとのびる新第三系の粗面岩,流紋岩類からなる急峻な山列があって,その稜線東側にフォッサマグナの西縁を画する糸魚川-静岡構造線が走っている。また本流の西側にも古第三系の瀬戸川層群からなる高い山地があって,この山地の西縁には笹山(1763m)付近を通って南から南南西にのびる笹山構造線が走っている。これら両構造線の存在とも関係して,安倍川流域一帯の山地には新旧数多くの地すべり・崩壊地形が存在する。日本三大崩れの一つともされる安倍大谷川源流の大谷崩れがその代表的な例で,その崩壊は16~18世紀ころに発生したものと推定されている。この際に崩壊した多量の土砂は土石流となって安倍大谷川および安倍川本流の谷を埋積して7km下流の孫佐島付近にまで達した。しかし,その後に始まる浸食作用も急速で,この土石流堆積面は現在ではすでに深い谷に刻まれて段丘化している。安倍川は中流部においてもなお深いV字谷底を流下しているが,牛妻付近より下流にいたるとようやく狭い谷底平地を見せ始め,そこには江戸時代に霞堤や山付堤を構築することによって開かれた新田が続いている。V字谷は古くから甲州に通じる交通路として利用された。安倍川の下流部には静岡平野が開けるが,その主体はこの川がつくった扇状地性の平野であって,扇頂は賤機山南端の浅間神社付近にあり,静岡市の中心市街地(かつての駿府)はそこから扇央付近にかけて広がっている。なおこの川の上流域は古くは梅ヶ島の日影沢など安倍金山で知られたし,現在では四季の自然を訪ねるハイキングコースとして,また梅ヶ島や口坂本は静かな山峡の温泉・湯治場として親しまれている。山間の流域一帯では茶と林業のほか,ワサビやシイタケの栽培も行われている。なおこの川の表・伏流水は,農業用水や工業用水,静岡市駿河区・葵区の上水などとして利用されている。
執筆者:松本 繁樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
静岡市梅ヶ島温泉北方の安倍峠(あべとうげ)に源をもち、静岡市街地南部で駿河湾(するがわん)に注ぐ川。一級河川。流路延長51キロメートル。流域面積567平方キロメートル。中河内(なかごうち)川、足久保(あしくぼ)川、藁科(わらしな)川などがおもな支流である。流域は瀬戸川層群、竜爪(りゅうそう)層群などの地質からなり、断層や破砕帯も多く、源流に近い大谷崩(おおやくずれ)は代表的な崩壊地。また、急流であるため河川の諸作用も激しく、砂礫(されき)からなる広い河原をみせ、下流に形成された扇状地には静岡市街地がのっている。荒れ川であるため、中・下流部では薩摩土手(さつまどて)をはじめ、雁行(がんこう)状の霞堤(かすみてい)による治水が進められ、新田集落が開かれた。利水面では静岡市の上水道、静清工業用水道(せいせいこうぎょうようすいどう)の水源として、伏流水が取水されている。河床の砂礫も骨材として採取されたが、河床低下が問題となった。江戸時代、東海道を旅する人は徒渉でこの川を渡った。両岸には川会所があり、川越人夫を常備していた。
[北川光雄]
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