指紋押捺制度(読み)しもんおうなつせいど

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

指紋押捺制度
しもんおうなつせいど

2000年(平成12)3月まで実施された、在日外国人に対する登録に係る制度。具体的には、日本に1年以上在留する16歳以上の外国人は、居住地の市区町村長に外国人登録証明書の公布申請をする場合、また、5年ごとの切替え申請をする場合、登録原票などに左人差し指の指紋を押さなければならない強制の制度であった(旧外国人登録法14条)。指紋は万人不同で一生変わらないため、法務省は、在留外国人を特定するもっとも有効な手段として、指紋押捺制度を1955年(昭和30)から実施してきた。押捺拒否に対して1年以下の懲役もしくは禁錮(きんこ)、または20万円以下の罰金などを定めていた。制度の対象となる外国人のうち8割が在日韓国・朝鮮人であった。
 1979年(昭和54)、日本は「外国人の品位を傷つける取扱い」の禁止や「内外人平等原則」を定める国際人権規約の当事国になった。その翌年ごろから押捺拒否事件が発生、約30万人にも及ぶといわれた登録証明書の大量切替年にあたる1985年以降、押捺を拒否もしくは留保する者は1万人を超えた。そして、1984年から1985年にかけて福岡、横浜、東京の地裁でいずれも有罪判決があった。裁判では、指紋押捺が日本国憲法第14条の法の下の平等に違反しないか、国際人権規約に違反しないかが争われたが、判決はすべて合憲であり、外国人登録の正確と不正防止のため必要不可欠であるとした。1984年の在日韓国人の地位向上に努力するという日韓共同声明を受けて、法務省は制度再検討に着手した。1985年、運用面で緩和する反面、拒否を続ける者は告発する旨の通達を地方自治体に出した。大韓民国居留民団などは激しく反発し、押捺留保の闘争を展開、また、川崎市などの自治体は拒否者を告発しない方針を表明するなど混乱が続いた。1985年の日韓定期閣僚会議で、日本側が問題を将来自主的に解決することを表明したため、民団側も押捺留保戦術を撤回、鎮静化した。また、各地の刑事裁判で有罪判決が続いてきたが、第二次世界大戦前から日本に住み、租税を負担し、日本社会の構成員になっている韓国・朝鮮人とその子孫など、定住外国人の人権保障について、国会は立法のうえで特別に配慮することを示唆した判決も出た。
 1990年(平成2)、在日韓国人の法的地位協定(1965)から除外されていた「協定三世」の問題に関連して、韓国側が指紋押捺の全面廃止を強く求めたことから、日本政府は1991年1月の日韓首脳会談で、廃止の意向を明らかにした。1992年6月、外国人登録法が改正され、1993年1月8日から施行されたが、永住者および特別永住者(第二次世界大戦前から日本に住む在日韓国・朝鮮人、台湾出身者とその子孫)については指紋押捺が免除されることになった。かわりに、同一性確認手段として写真・署名のほか、父母・配偶者の氏名など家族関係を新たに登録する。ビジネスマンや技術者など永住資格のない1年以上の長期滞在者については適用されず、指紋押捺は継続されていたが、1999年の改正では、この非永住者の指紋押捺も廃止された(2000年4月1日施行)。[今村嗣夫・池田文雄]
 2000年に外国人登録法による指紋押捺制度は廃止となったが、2001年9月のアメリカ同時多発テロの発生等を受け、2004年に日本政府はテロの未然防止に関する行動計画を策定、2006年には出入国管理及び難民認定法(入管法)を改正、2007年に施行した。この改正入管法によって、日本に入国する外国人に指紋と顔写真の提供を義務付けることとした。なお、特別永住者、16歳未満の者、政府が招聘(しょうへい)した者などは免除される。[編集部]
『『ひとさし指の自由――外国人登録法・指紋押捺拒否を闘う』(1984・社会評論社) ▽在日大韓基督教会指紋拒否委員会著『日本人へのラブコール――指紋押捺拒否者の証言』(1986・明石書店) ▽今村嗣夫著『指紋制度撤廃への論理――外国人登録法「改正」案の総批判』(1987・新幹社)』

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