精選版 日本国語大辞典 「国際人権規約」の意味・読み・例文・類語
こくさい‐じんけんきやく【国際人権規約】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
1966年12月16日、第21回国連総会で採択された人権の国際的保護を定めた国際条約。A―経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights)、B―市民的および政治的権利に関する国際規約(International Covenant on Civil and Political Rights)、および、B規約に付属する二つの選択議定書(Optional Protocol)の四つからなる。A規約は1976年1月3日に発効し、締約国は2010年3月31日時点で160か国(署名国69か国)、B規約と第一選択議定書は1976年3月23日に発効し、2010年3月31日時点で、規約の締約国は165か国(署名国72か国)。第一選択議定書には2010年3月31日時点で113か国が加盟している。北朝鮮は1997年8月27日、国連人権委員会差別防止小委員会が同国の人権状況を非難する決議を採択したことに抗議、B規約からの脱退を通告した。日本はAB両規約だけ批准し、1979年(昭和54)9月21日から締約国になった。両規約は、共通内容を定めた第1部、第2部と、それぞれの実体的権利内容を定めた第3部、および人権保障の実施措置を定めた第4部(B規約では第4部、第5部)、ならびに署名・批准などの手続を定めた諸条項からなる。
第1部は人民の自決権(第1条)、第2部は規約締約国による人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見、民族的社会的出身、財産、門地などによる差別のない人権保障義務を定めている(第2条~第5条)。A規約の第3部は、いわゆる生存権ないし社会権的基本権を定め、締約国がその国内事情などに応じて漸進的にそれらの諸権利の実現を図るべきことを、B規約の第3部は、いわゆる自由権的基本権と政治に参加する権利を定め、締約国が当然かつ即時にそれらの諸権利を保障すべきことを規定している。第4部以下の実施措置については、A規約では、締約国から国連に対して同規約の実施状況を報告させることに重点を置いている。これに対して、B規約では、締約国に同規約の実施状況を報告させるほか、人権委員会の審査権限を認める宣言(第41条)をした国については、他国からの申立てにより人権侵害国の規約違反を審査しうるものとし、また、議定書批准国については、被害を受けた個人からの救済申立てを委員会が受理して事件を審査しうる旨を定めているが、日本は、第41条の宣言も議定書の批准もしていない。また、1989年12月15日には死刑廃止を目ざすB規約の第二選択議定書が採択され、1991年7月11日に発効、2010年3月31日時点では72か国がこの議定書の条項に拘束されることに同意している。日本はこれも未批准である。なお、A規約の選択議定書も2008年12月10日に国連総会で採択されたが、未発効である。
[宮崎繁樹]
(宮崎繁樹 明治大学名誉教授 / 2008年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
(1)「経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約」(A規約),(2)「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(B規約),および(3)「市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書」の三つからなる国際人権条約の総称。1966年,国連総会で採択され,76年に発効。人権の世界共通基準が世界人権宣言で設けられたのち,国連はこうした世界基準に法的拘束力を持たせるための条約化に取り組み,それが国際人権規約として実現した。世界人権宣言にはなかった自決権がA・B両規約の共通1条として規定されている。国際人権規約は,その後国連で採択された幾多の人権保障条約の基礎をなす条約である。A・B両規約とも,世界の4分の3にあたる約150カ国が批准している(2006年)。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…国際法上は,外国人の地位は,各国が外交・内政の方針等から自由に決定しうるのが原則とされてきた。しかし,今日では,国際人権規約などによって,国際法上の制約が大きくなったことが注目される。その結果,これまで,私権の享有についていわれていた内国民待遇ないし内外人平等主義が,公権(基本的人権)についても適用されるようになった。…
…日本では,下中弥三郎が1920年に《教育再造》ではじめて学習権の主張をし,彼が中心となって結成された日本教員組合啓明会(1920)の綱領に取り入れられた。今日では,世界人権宣言(1948),児童の権利宣言(1959),国際人権規約(1966。いずれも国連総会で採択)においても確認されている人間の権利である。…
…世界人権宣言の趣旨に基づき,国際民間団体としてアムネスティ・インターナショナルが結成され(1961),政治犯の釈放や囚人の人権擁護のために活動している。 世界人権宣言はすべての国が達成すべき共通の基準として布告されたのであって法的な拘束力を有しないが,これに補正を加え条約化したのが,66年12月16日の第21回総会で採択された国際人権規約である。これは〈経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約〉(A規約)と〈市民的及び政治的権利に関する国際規約〉(B規約)からなる。…
…すなわち,生まれた子がただちに人間らしい取扱いを受けることを具体的に保障すること,したがってまた胎児と母体の保護を十分に保障することである。2度にわたる世界戦争の悲惨な結果は,国際連盟の児童の権利宣言(1924),国際連合の世界人権宣言(1948),国際人権規約(1966),子どもの権利条約(1989)などにおいて,この方向への発展を促した。とくに国際人権規約および子どもの権利条約は,すべての児童が出生後ただちに氏名を有し,国籍を取得し,さらに家族,社会,国家から未成年者としての地位に必要な保護措置を受ける権利を保障した。…
…これは民族文化軽視への不満に発しており,本国政府により弾圧されたが,国民会議派が支持し,独立後の教育建設の基盤となった。 第2次大戦後には世界人権宣言が出され,また国際的に民族教育の基本を定め,各国・各民族が承認しているのは〈国際人権規約〉(1976)であり,そこにはまず民族自決権が規定されている(A規約第1条)。これにもとづき民族の文化的発展の自由な追求を担う力量の形成,民族的自覚の形成などが求められる。…
…この条約の保護する人権はいわゆる自由権であり,生命権,拷問・非人道的待遇または刑罰の禁止,奴隷・苦役・強制労働の禁止,身体の自由と安全,公正公開の審理を受ける権利,無罪の推定,刑事被告人の諸権利,刑法の不遡及,プライバシーの保護,思想・良心・宗教の自由,表現の自由,集会・結社の自由,婚姻し家庭を設ける権利,公的救済の権利,保護されている権利・自由の無差別享有のほか,財産権・教育権・自由選挙の保障,移動・居住・出国の自由,自国からの不追放,自国への入国の自由,外国人の集団的追放の禁止などである。この条約の最大の特色は,条約の履行を確保するための措置,いわゆる実施措置にあり,国際人権規約も米州人権条約も実施措置の面ではこの条約をモデルにしている。この条約はヨーロッパ人権委員会,ヨーロッパ人権裁判所を設置し,委員会には個人も提訴できるシステムを採用していたが,1998年11月1日に発効する第11議定書によって全面的に改められ,裁判所と委員会は廃止され,新裁判所がこれにとってかわる。…
…この自由を制限または妨害しようとする約定および処理はすべて違法である〉(159条)と定めたのを嚆矢(こうし)とする。 労働基本権は今日すべての国で保障されるべき基本的人権とされ,その旨は1948年に国連が採択した世界人権宣言(23条)および1966年の〈経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約〉(国際人権規約6~8条)にも明らかにされている。また国際労働機関(ILO)は労働基本権なかんずく団結権の保護の重要性にかんがみ〈結社の自由及び団結権の保護に関する条約(87号)〉を採択するとともに,この条約を批准していない国に対しても,労働者の団結権を保護するため〈結社の自由〉委員会による特別な救済制度を設けている。…
※「国際人権規約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
[1864~1915]ドイツの精神医学者。クレペリンのもとで研究に従事。1906年、記憶障害に始まって認知機能が急速に低下し、発症から約10年で死亡に至った50代女性患者の症例を報告。クレペリンによっ...
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新