翻訳|sadism
性目標の質的異常(性倒錯)の一種で、加虐性愛ともいう。マゾヒズムとともにアルゴラグニーAlgolagnie(ドイツ語、疼痛(とうつう)性愛)に含まれる。すなわち、性対象に苦痛を与えたり、与えられたりすることによって性的快感や満足を得ようとするものをアルゴラグニーといい、能動的アルゴラグニーをサディズム、受動的アルゴラグニーをマゾヒズムという。この両者は同一人物のなかに併存することが少なくない。
サディズムは、ドイツの精神医学者クラフト・エビングRichard von Krafft-Ebing(1840―1902)が、フランスの作家サド侯爵の実生活や小説のなかで典型的に示したこの種の性行動にちなんで命名したものである。性対象に対して苦痛を与えて性的な快感を得、ついにはオルガスムスに達するので、正常の性交を求めることをしない場合もある。ときには性目標に限定せず、攻撃的で苦痛を与えることのみを目標として追求する場合もある。こうした者はサディストsadistとよばれる。一般に、鞭(むち)で打ったり、縛り付けたり、辱めるような言動が多いが、単にこれらの言動を空想するだけの幻想によって興奮する者もある。なかには快楽殺人、屍姦(しかん)、動物サディズムなどもみられる。
[白井將文]
精神分析の創始者フロイトの性理論においては、サディズムは性倒錯というより性衝動の根本的な性質とみなされる。すなわちサディズムの概念は拡張され、性対象に対して能動的態度を示すことから、性対象を屈服させ、苦痛を与えることで満足を得るものまでが含まれ、その極端なものだけが倒錯とよばれる。フロイトは正常な発達段階として肛門(こうもん)サディズム期の概念を提唱した。幼児の性衝動は、ある特定の対象や方法によって快感を得ようとするものでなく、可能なあらゆる手段を使って快感を得ようとするもので、いわば多角的である。サディズムそのものは性衝動と関係ないもので、攻撃衝動とか征服欲のような支配衝動とみなされることもあるが、一般にはサディズムとマゾヒズムは別個に独立したものでなく、サド・マゾヒズムsadomasochismとして一つのものと考えられる。これは性衝動そのものが能動態と受動態をもつものであって、こうした対立によって性衝動がつくりあげられているという考えによる。すなわち、両者は切り離して考えることのできないものと考えられるのである。サディズムを性衝動との関係で考えるか、無関係に考えるかが重要な問題となってくる。
[外林大作・川幡政道]
フランス18世紀の作家サド侯爵が、その作品のなかに、こうした傾向の例をおびただしく描写したので、サディズムなる名称が生まれた。鞭打ちなどによる肉体的サディズムから、攻撃欲、権力欲、精神的虐待などを含めて、その範囲はきわめて広く、正常の人間にも軽度のサディズムはしばしば認められる。フロイトは、サディズムとマゾヒズム(被虐快感症)は同一の個人のもとに、つねに同伴して現れ、両者の差異は、いわば純粋に技術上の問題にすぎないといったが、最近の分析学者の説では、この考えは疑問とされている。またサディズムと男性的傾向、マゾヒズムと女性的傾向との間にも、直接にはなんの関係もない。
サド以前にも、文学や美術のなかにサディズムの表現はみられる。プラトンの『共和国』に「死刑に処せられた者の死体を見たいという欲望にとらわれて我慢できなかった男」のエピソードがあり、ルクレティウスの『万象論』に「死と戦いつつある不幸な船乗りの危難を、岸から見ているのは愉快なものだ」という文章がある。キリストの受難や聖者の殉教や地獄の刑罰を描いた中世の絵画には、明らかに画家の無意識のサディズムが働いている。一方、サドをロマン主義の源流とみなすイギリスの文学史家マリオ・プラーツは、イギリスの小説家であるルイス(通称マンク)Matthew Gregory Lewis(1775―1818)やマチューリン Charles Robert Maturin(1782―1824)(『放浪者メルモス』)、ボードレール、フロベール、スウィンバーン、ミルボー(『責苦の庭』)らを結ぶサディズム文学の系譜をつくった。「残虐性と逸楽とは同じ感覚である」とボードレールはいい、「両性間の極端な憎悪こそ愛の基盤である」とダンヌンツィオは述べている。サルトルの実存主義理論の根底にも、シュルレアリスムの「黒いユーモア」の基盤にも、サド・マゾヒズムは重要な役割を果たしている。なお、マゾヒズムは、オーストリアの作家ザッヘル・マゾッホの作品傾向にちなむ命名。
[澁澤龍彦]
『早野泰造著『サド侯爵の世界 サディズムの現象学』(1985・牧野出版)』▽『早野泰造著『近世の呪縛 サディズムの精神史』(1986・牧野出版)』▽『ジョン・マンダー・ロス著、安野玲訳『なぜ自分をいじめるの?――サドマゾヒズムの心理学』(1999・朝日新聞社)』
狭義には,他人に苦痛を加えることによって性的満足を得ようとする性倒錯をさす。サディズムの名称は,現実に数多くの性的虐待を実行し,しかもこのような性的乱行を小説の主題としたフランスのサド侯爵にちなんで,クラフト・エービンクによって命名された。広義には性的満足は伴わなくても,残酷さの中に喜びを見いだす傾向は広くサディズムとみなされる。S.フロイトならびにK.アブラハムの精神分析的人格発達理論においては,乳児が母親の乳房をかむことに満足を感じる時期(口唇サディズム期oral-sadistic stage)および幼児が親の意に反抗して大便を貯溜したり排泄したりすることに満足を感じる時期(肛門サディズム期anal-sadistic stage)にこの用語をあてている。このように精神分析的発達理論においてはサディズムなる概念は人間に普遍的な現象に対して用いられ,何ぴともこれを通過していくものとみなされている。さらに精神分析理論においては,われわれの心内過程を描写する場合にも往々サディズムという表現が用いられる。例えば過度に厳格な超自我は,〈サディスティックな超自我〉と形容される。
古典的精神分析理論に従えば,性倒錯としてのサディズムも抑圧を欠く幼児性欲への退行ならびに固着で,しかもサディスティックな部分欲動が強調されたものであるが,去勢不安と自己破壊的傾向(マゾヒズム的傾向)とに対する防衛的意味をもつものとされる。一方,人間学的立場をとる精神医学者ゲープザッテルV.von Gebsattelは,サディストにおいては他の嗜癖者と同じく規範への挑戦が満足を生み,その根底には自己破壊的傾向が潜んでいると説く。そしてサディスティックな行為が自己自身の感覚の増大を生じ,そのような感覚の変化が反復して求められるようになるのだと考える。これに対してゲープザッテルと同じく人間学派に属するM.ボスは,以上の見方に反対し,たとえゆがめられた形においてではあってもサディズムも恋愛的世界内存在可能性に到達しようとする試みであると解釈している。
→マゾヒズム
執筆者:下坂 幸三
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