江戸時代、成人を対象に道徳教育を施した庶民教育機関の総称。1791年(寛政3)老中松平定信(まつだいらさだのぶ)が江戸麹町(こうじまち)に教諭所を設けたのち、幕府領美作(みまさか)国久世(くぜ)(岡山県真庭市久世)の代官早川八郎左衛門正紀(まさとし)が、村々の弊習、ことに赤児(あかご)間引きを矯正するため、同年陣屋の近傍に教諭所(1796年典学館(てんがくかん)と改称)を設立したのが代表例とされる。ついで早川は同支配下で備中(びっちゅう)国小田郡笠岡(かさおか)(岡山県笠岡市)に1797年敬業館(けいぎょうかん)を、さらに関東に転ずると任地武蔵(むさし)国久喜(くき)(埼玉県久喜市)に遷善館(せんぜんかん)を開いた。典学館などは土地・建物と維持費を地域の村役人や富農の寄付によった。毎月定日には早川や雇われた2名の学者が『六諭衍義(りくゆえんぎ)』や早川の著『條教説話』などの講釈を行った。これら教諭所は多く郷学を兼ね、平素、幼童子弟に習字・素読(そどく)を授けていた。これ以前に元文(げんぶん)・延享(えんきょう)期(1736~48)伊予国大洲(おおず)で川田雄琴が試みたものをはじめ、安永(あんえい)・天明(てんめい)期(1772~89)以降にも幕府領、諸藩領の各地に設けられている。概して藩・代官によって設立・維持されている。人民教諭の講釈の効果が支配層の間に関心をよび、領主側の責任で道徳の高揚、農業の奨励が教諭所を中心に、教師の地域巡回講釈と併行して行われた。女子に裁縫を教え、修養書を読ませた例や、村役人養成を目ざした例もある。基礎的な漢学が主で、読み・書きにも力が注がれているが、幕藩制危機の深化に対応して、一般人民を対象に学問より、封建的陶冶(とうや)が主目的であった。
[木槻哲夫]
『『日本教育史資料7』(1892・文部省)』▽『石川謙著『日本庶民教育史』(1929・刀江書院)』▽『石川謙著『石門心学史の研究』(1975・岩波書店)』▽『R・P・ドーア著、松居弘道訳『江戸時代の教育』(1970・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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