敦煌石窟(読み)トンコウセックツ

デジタル大辞泉 「敦煌石窟」の意味・読み・例文・類語

とんこう‐せっくつ〔トンクワウセキクツ〕【敦煌石窟】

敦煌郊外、鳴沙山山腹にある石窟寺院。4~14世紀に造営され、約490窟が現存する。貴重な壁画仏像古文書古写本などが出土雲崗うんこう竜門の両石窟とともに中国の代表的仏教石窟。1987年、世界遺産文化遺産)に登録された。千仏洞莫高窟まっこうくつ・ばっこうくつ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「敦煌石窟」の意味・わかりやすい解説

敦煌石窟
とんこうせっくつ

中国、甘粛(かんしゅく)省敦煌県城の南東20キロメートル、大泉河に臨む鳴沙山(めいさざん)の断崖(だんがい)に営まれた石窟寺院で、莫高窟(ばっこうくつ)(千仏洞)ともよばれる。1987年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。南北約2キロメートルにわたって486個を数える窟院が、2段、3段、4段と層をなして並んでいる。唐の碑文によると、石窟の開削は前秦(しん)の366年(建元2)楽僔(らくそん)の創建とされるが、現存する最古の窟としては北涼(ほくりょう)窟があり、その後、北魏(ぎ)、西魏、北周、隋(ずい)、唐、さらに元代にまで及んでいる。河岸の断崖に窟院を営む寺院形式は古くインドに始まり、西域(せいいき)を経て中国へと流行したが、これほど大規模で長期にわたって造営された例はない。

 岩質が礫岩(れきがん)でもろいために、塑像と壁画を発達させることとなった。壁画の保存状況は良好で、初期のものは仏伝図(ぶつでんず)、本生図(ほんじょうず)が多く、画風は西域的。やがて維摩経変(ゆいまきょうへん)、法華経変(ほけきょうへん)、阿弥陀浄土変(あみだじょうどへん)など、中原(ちゅうげん)の影響を色濃く反映するようになる。現存する石窟のうち唐窟が約半数を占めるが、異彩を放っている北大仏も、南大仏も、ともに唐代の造営である。中国政府の手で着々と修理計画が進められており、壁画の模写図像の研究など、その成果にはみるべきものがある。

[吉村 怜]

『柳宗玄・金岡照光著『世界の聖域 別巻2 敦煌石窟寺院』(1982・講談社)』『中国文物出版社・平凡社国際提携出版編『敦煌莫高窟』全5巻(1982・平凡社)』『潘絜茲著、土井淑子訳『敦煌の石窟芸術』(中公新書)』『敦煌文物研究所編、鄧健吾文『敦煌石窟』(1982・平凡社)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「敦煌石窟」の解説

敦煌石窟
とんこうせっくつ

中国甘粛省敦煌市に残る仏教石窟寺院で,千仏洞・西千仏洞・楡林洞・水峡口窟をあわせた総称。千仏洞の莫高窟(ばっこうくつ)が最大規模で,約490の石窟が残る。現在確認できる最古のものは,北涼時代の5世紀初めといわれ,文書記録に残る4世紀中頃の窟は未確認。明代の16世紀中頃に造営が終わる。敦煌は河西走廊西端に位置するシルクロードの出入口で,東西文化交流の中継地として栄えた。

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