中国,敦煌(とんこう)の石窟。寺院を伴う。一説では前秦の建元2年(366年)に僧の楽僔(らくそん)により開鑿(かいさく)され,造営は隋唐をへて元代まで続いた。窟内は,仏教的な主題にもとづく壁画や彫塑,さらには帰義軍(きぎぐん)節度使をはじめとする,石窟を造営した人々が供養者として描かれている。この石窟を世界的に有名にしたのは,スタインやペリオらによる敦煌文献の「発見」であり,東洋学の研究に貴重な資料を提供している。
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…1900年(光緒26)道士王円籙によって,一小窟(現在の第17窟)から4~5万点にのぼる古写本等の古文書や画巻が発見され,世界的に敦煌学が起こるきっかけとなった。莫高窟は1737年(乾隆2)常鈞が《敦煌雑抄》で紹介しているが,その学術研究は1823年(道光3)徐松が《西域水道記》に碑文と銘を記録し,莫高窟の草創を考証したのが始まりである。1907年以来イギリスのM.A.スタインは数回にわたり経巻・古写本約7000点,画巻500点余,刺繡150点余を持ち去った。…
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