平安初期の歌人。六歌仙の一人。生没年不詳。《古今集》巻十六に深草帝(仁明天皇)の没した850年(嘉祥3)のおそらく翌年に詠んだと思われる歌がある。官は860年(貞観2)に刑部中判事。三河掾,山城大掾をへて879年(元慶3)縫殿助。《古今集》には,文屋康秀が三河掾になって県見(あがたみ)に誘った際に詠んだという,小野小町の〈わびぬれば身を浮き草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ〉(巻十八)の歌がのせられている。このことは《十訓抄》《古今著聞集》などにも記された。また《古今集》巻一に,二条后(清和天皇の后,陽成天皇の母)に召されて詠んだ歌に〈春の日(東宮,後の陽成天皇)の光にあたる我なれど頭(かしら)の雪となるぞわびしき〉があるので,貞観(859-877)の末ころには相当の高齢であったとみられる。《古今集》仮名序には〈文屋康秀は言葉たくみにてそのさま身におはず。いはば商人のよき衣(きぬ)着たらむがごとし〉と評され,《古今集》には3首採られている。なお文屋朝康は康秀の子である。
執筆者:奥村 恒哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生没年未詳。平安前期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の1人。860年(貞観2)刑部中判事に任ぜられ、877年(元慶1)山城大掾(だいじょう)、879年縫殿介(ぬいどののすけ)に任ぜられた。『古今集』に参河掾(みかわのじょう)になったときの小野小町との贈答歌があり、また仁明(にんみょう)天皇の御国忌(みこき)(851)の歌や「惟貞(これさだ)親王家歌合(うたあわせ)」の歌などがある。『古今集』の序に「ことばたくみにして、そのさま身におはず。いはばあき人のよききぬきたらんが如(ごと)し」とある。勅撰(ちょくせん)所載歌は『古今集』以下四首。
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ
[島田良二]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
生没年不詳。平安前期の歌人。六歌仙・中古三十六歌仙の1人。宗于(むねゆき)の子。子に朝康(ともやす)。官人としては卑官に終始した。「古今集」仮名序では「詞(ことば)はたくみにて,そのさま身におはず,いはば商人のよき衣(きぬ)着たらんがごとし」と評される。「古今集」に5首,「後撰集」に1首入集するが,「古今集」の2首は子の朝康の作ともいう。小野小町と親密であったらしい。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…《万葉集》の後,和歌の道はまったくおとろえていたが,その時期に〈いにしへの事をも歌をも知れる人,よむ人多からず。……近き世にその名きこえたる人〉としてあげられた僧正遍昭,在原業平,文屋康秀,喜撰法師,小野小町,大友黒主,の6人のこと。序の筆者紀貫之より1世代前の人々で《古今集》前夜の代表的歌人として《古今集》時代の和歌の隆盛を導いた先駆者たちである。…
※「文屋康秀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加