コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

文章院 もんじょういん

5件 の用語解説(文章院の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

文章院
もんじょういん

平安時代,大学寮におかれた曹司 (そうじ。寄宿学舎) の一つ。9世紀中頃菅原清公 (きよとも) の奏請により設置。文章道を教授。東西両曹司があり,東曹には大江,高階,藤原,紀,三善,西曹には菅原,藤原,橘の各氏の子弟を収容したが,のちに東は大江,西は菅原氏が曹主となり,それぞれの独占機関となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

もんじょう‐いん〔モンジヤウヰン〕【文章院】

平安時代の大学別曹。承和元年(834)ごろ、菅原清公の建議により、文章道を学ぶ学生のための施設として設けられた。東西両曹があり、東曹は大江家、西曹は菅原家が管轄したので、しだいに両氏のための大学別曹となった。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

もんじょういん【文章院】

平安京にある大学寮の中の紀伝道の建物。紀伝道の源流は奈良時代にあるが,平安時代に入ってにわかに盛んになり,入唐して昭文館・崇文館を見て帰国した菅原清公が,文章博士が2人に増員されて他道と対等となった834年(承和1)のころ,朝廷に申請してすでにあった明経道院(南堂)・算道院・明法道院の北に創建し,北堂ともいわれた。東西曹司(そうじ)があり,菅原・大江両氏が分掌した。北堂では文章博士の講義や竟宴(きようえん)がおこなわれ,両曹司には学生が住んだ。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

もんじょういん【文章院】

九世紀初め、菅原清公によって建てられた紀伝道の教育機関。東西両曹司を有し、氏族・門流によっていずれに属すか定められていた。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

文章院
もんじょういん

平安時代、文章道の学生(がくしょう)の教育機関。834年(承和1)ごろ菅原清公(すがわらのきよきみ)の建議で、大学寮敷地内に創設。東西両曹司(ぞうし)に分かれ、東曹は大江、高丘、藤原、紀(き)、三善(みよし)の各氏の者が、西曹は菅原、藤原(門流によって分かれる)、橘(たちばな)の各氏の者が籍を置いて勉学した。のちには、東曹は大江氏、西曹は菅原氏が曹主となり、大学別曹をもたない氏の文章生が寄宿するとともに、一般に文章得業(とくごう)生になった者が籍を置いて研鑽(けんさん)する場所となる。大学の教育機関で、各氏の大学別曹とは性格が異なる。[大塚徳郎]
『桃裕行著『上代学制の研究』(1947・目黒書店/復刻・1983・吉川弘文館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の文章院の言及

【紀伝道】より

…教官も菅原,大江,南家藤原の諸氏により独占世襲されることとなり,文章得業生もこれら諸氏の出身者で占められた。教場としては大学寮の北側に文章院(北堂)があったが,平安末期にはすたれ,教官の家塾で教育が行われた。なお学科の正式名称は紀伝道で,文章道(もんじようどう)ではない。…

※「文章院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone