百科事典マイペディア 「菅原氏」の意味・わかりやすい解説
菅原氏【すがわらうじ】
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土師(はじ)氏から分立した氏。菅家(かんけ)ともいう。大和国(やまとのくに)(奈良県)添下(そふのしも)郡菅原の地名に由来する。『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』に土師宿禰(はじのすくね)と同祖とみえ、781年(天応1)6月土師宿禰古人(ふるひと)らが菅原の姓を賜らんことを求めて許され、以後六国史(りっこくし)に土師宿禰に対する菅原賜姓の記事が散見する。菅原氏の本宗は古人―清公(きよとも)―是善(これよし)―道真(みちざね)と続き、多数の学者を輩出した。古人は清貧の生活を送り、子孫はその学徳を継ぎ、是善は参議に至り、道真は右大臣に登った。道真の流謫(るたく)により菅原氏の勢いは一時衰えたが、その子孫は学業により朝廷に仕え、道真の孫文時(ふみとき)は、字句の洗練祖父に勝ると称された。堂上家(とうしょうけ)の高辻(たかつじ)、東坊城(ひがしぼうじょう)、五条、唐橋、清岡、桑原は道真の男高視(たかみ)の後裔(こうえい)であり、加賀藩主前田氏も菅原氏を称した。
[森田 悌]
平安時代の氏族。もとは土師宿禰(はじのすくね)で,781年(天応元)に根拠地の大和国添下郡菅原郷(現,奈良市菅原町付近)にちなみ菅原宿禰に改姓,のち朝臣を賜った。桓武天皇の侍読(じとう)として仕えた菅原古人(ふるひと),「凌雲集」「文華秀麗集」「経国集」の編纂にかかわり,朝儀や服制の唐風化に努めた菅原清公(きよとも),「貞観格式」「文徳実録」などの編纂にかかわり,参議に昇任した菅原是善(これよし),宇多天皇の信任を得て蔵人頭から右大臣に昇り,のち大宰権帥に左遷された菅原道真(みちざね)など,8世紀末以降の文人・学者を多く輩出した。大江氏と並ぶ学者の家として代々文章博士・大学頭などに任じられ,大江氏を江家(ごうけ)というのに対して菅家(かんけ)とよばれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…奈良時代後期から末期にかけて改氏姓を願い出る氏族が増加し,土師氏も,その氏の名が凶礼にあずかることに結びつけられやすいことを理由に,改氏姓を願い出た。そしてその拠地により,菅原氏,秋篠氏,大枝氏となった。【和田 萃】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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