日本大百科全書(ニッポニカ) 「新マルサス主義」の意味・わかりやすい解説
新マルサス主義
しんまるさすしゅぎ
neo-Malthusianism
マルサスの人口原理を認め、人口原理の作用によって生ずる害悪から逃れる方法として、マルサスの道徳的抑制のかわりに産児制限を主張する思想ならびに運動。J・ミル、F・プレースおよびJ・S・ミルがその代表的思想家である。新マルサス主義はマルサス理論の論理的展開と考えられる。マルサスの道徳的抑制には二つの矛盾が存在した。第一は人口原理との関係における矛盾で、人口原理が人間の性欲が強く、また変わらないことを出発点としながら、道徳的抑制では性的純潔を保つ独身生活を仮定している。第二は、道徳的抑制が生活設計のために主張されながら、子供数を計画外においていることである。マルサスの場合、結婚後何人の子供が生まれるかはまったく天意であり、したがって結婚延期は人口の合理的抑制の根拠とはならない。J・S・ミルはこれを危険な偏見とし、確実な生計をみいださない以上は結婚しないと同じく、結婚後は自ら養育しうる以上の子供を生んではならないとした。
こうして新マルサス主義の思想が誕生した1820年代から産児制限の実行が叫ばれるようになる。イギリスでは、プレース、カーライルRichard Carlile、アメリカではオーエンRobert Dale Owen、医師ノールトンCharles Knowltonらによって宣伝された。19世紀後半にはドライスデールGeorge Drysdale、ブラッドローCharles Bradlaughおよびベザント夫人がこれに加わる。1876年にノールトンの著書が猥褻(わいせつ)文書として摘発されたことが、かえってこの運動の画期的進展の契機となった。ブラッドローやベザント夫人は、公然とノールトンの著書を販売する挙に出て事件を法廷に持ち込んで闘争したが、この事件そのものと法廷における彼らの陳述が人々の注意を呼び起こした。1877年イギリスにマルサス主義連盟が組織され、オランダ、ドイツ、フランスがこれに続き、1910年にはオランダのハーグで国際大会が開催された。この運動がやがて現代の産児制限運動に引き継がれ、世界に波及するようになる。日本では、サンガー夫人の影響を受けた加藤(当時石本)シヅエらにより1920年(大正9)ころから産児制限の必要が説かれたが、異端視され、発展を阻まれた。
[皆川勇一]
『吉田秀夫著『新マルサス主義』(1940・大同書院)』▽『南亮三郎・館稔編『マルサスと現代』(1966・勁草書房)』