日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンガー」の意味・わかりやすい解説
サンガー(Frederick Sanger)
さんがー
Frederick Sanger
(1918―2013)
イギリスの生化学者。ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジで学び、ケンブリッジ大学生化学部で1943年学位取得。1951年より医学研究会議(MRC:Medical Research Council)研究員。1962年以来ケンブリッジのMRC分子生物学研究所で研究に従事していたが、1983年に引退。以後研究にはかかわっていない。1945年にタンパク質の末端のアミノ酸残基のα(アルファ)-アミノ基をジニトロフェニル基で標識して末端アミノ酸を決定する方法を発見し、同法を基本に、酸や酵素による加水分解、各種クロマトグラフィー、電気泳動などを駆使して、1955年までに膵臓(すいぞう)のホルモンタンパク質インスリンのアミノ酸配列とシステインのS‐S結合の位置を決定、初めてタンパク質の構造解明に成功し、1958年ノーベル化学賞を受賞。こののち核酸の塩基配列決定の研究をはじめ、32P(トレーサーの一種)で標識したリボ核酸(RNA)を使って構造決定を行う方法を開発、RNA構造決定に広く使われ、1975年には、デオキシリボ核酸(DNA)複製酵素、32Pで標識した核酸基質、DNA阻害剤(2´,3´-ジデオキシヌクレオシド三リン酸)、ゲル電気泳動法を巧みに組み合わせた画期的なDNAの塩基配列迅速決定法であるジデオキシ法dideoxy method(サンガー法ともいう)を考案し、1980年二度目のノーベル化学賞をアメリカのギルバートWalter Gilbert、バーグとともに受賞した。1986年にはその研究上の功績により、メリット勲位(イギリスの文武に殊勲のあった24人に限って与えられる)を授与された。1993年にはサンガーの名を冠したサンガー・センターがケンブリッジに設立されたが、同所は、人間の染色体上にあるDNAの塩基配列を決定するヒトゲノム解析計画のイギリスにおける拠点となった。
[梶 雅範]
『Frederick Sanger, Margaret Dowding edSelected Papers of Frederick Sanger, with Commentaries World Scientific Series in 20th Century Biology, vol.1(1996, World Scientific)』
サンガー(Margaret Sanger)
さんがー
Margaret Sanger
(1883―1966)
家族計画運動(当初は産児制限運動)の提唱者。アメリカ、ニューヨーク州生まれ。小学校教員をしたのち看護学校を卒業、結婚、3児の母となる。ニューヨーク市のスラム街で保健看護師として働くなかで多産と貧苦の悪循環を痛感。避妊についての研究を行い、1914年、産児制限連盟を結成して機関紙『婦人の反逆』the Woman Rebel(のち『産児制限評論』the Birth Control Review)を発刊。1916年ニューヨーク市ブルックリンにアメリカで初めての産児調節相談所(マザーズ・クリニック)を開設。1921年には全米産児制限連盟を設立。当時アメリカでは避妊が禁止されていたので、しばしば逮捕されたが屈することなく、アメリカ国内のみならず海外を広く旅行して産児制限の指導、啓発にあたった。1922年(大正11)各国遊説の途次、来日。日本官憲の妨害にあった。なおその際、山本宣治(せんじ)にも影響を与えている。その後アメリカ家族計画連盟名誉会長就任(1942)、国際家族計画連盟の名誉会長(1952)。1955年(昭和30)に再度来日、日本家族計画連盟発足を祝った。その後も数度来日。『結婚の幸福』(1926)、『わたしの産児制限運動』(1931)、『自伝』(1938)などの著作がある。
[小倉襄二]