新井石禅(読み)アライ セキゼン

20世紀日本人名事典 「新井石禅」の解説

新井 石禅
アライ セキゼン

明治・大正期の僧侶 曹洞宗管長;総持寺貫主。



生年
元治1年12月19日(1865年)

没年
昭和2(1927)年12月7日

出生地
陸奥梁川村(福島県梁川町)

本名
新井 仙太郎

旧姓(旧名)
石井

別名
号=穆英

学歴〔年〕
曹洞宗本校(現・駒沢大学)卒

経歴
12歳で出家、福島県の梁川町興国寺の新井如禅の弟子となった。名古屋の護国院小田原の最乗寺各住職を経て、大正9年曹洞宗本山鶴見の総持寺貫主となった。10年太陽真鑑禅師の号を賜わり、同年ホノルル別院入仏式に参列北米巡遊。11年以降隔年3期曹洞宗管長を務めた。また曹洞宗大学林(現・駒沢大学)学監・教授、宗務院教学部長なども務めた。著書に「新井石禅全集」(全12巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「新井石禅」の意味・わかりやすい解説

新井石禅
あらいせきぜん
(1864―1927)

明治・大正期の曹洞(そうとう)宗の僧。俗姓は石井仙太郎。穆英(ぼくえい)と号した。福島県伊達(だて)郡梁川(やながわ)村(現、伊達市)に生まれ、興国寺住職の新井如禅(あらいにょぜん)の弟子となる。曹洞宗専門本校に学び、畔上楳仙(あぜがみばいせん)、森田悟由(もりたごゆう)らに参禅した。雲洞庵、最乗寺などに歴住し、曹洞宗大学林学監、大本山総持寺独住5世、曹洞宗第11代管長となる。国内、海外の巡教は数百か所に及び、その徳化は一世を風靡(ふうび)して、生き仏と仰がれた。

[東 隆眞 2017年5月19日]

『『新井石禅全集』全12巻(1929~1931・新井石禅全集刊行会)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新井石禅」の解説

新井石禅 あらい-せきぜん

1865*-1927 明治-大正時代の僧。
元治(げんじ)元年12月19日生まれ。神奈川の最乗寺住職などをへて明治22年母校曹洞宗(そうとうしゅう)大学林(現駒沢大)学監兼教授,大正9年総持寺貫主。中国,アメリカなどで布教につくした。昭和2年12月7日死去。64歳。陸奥(むつ)梁川(やながわ)(福島県)出身俗名は石井仙太郎。号は穆英(ぼくえい)。著作に「曹洞宗大綱」「解脱(げだつ)と人生」など。

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367日誕生日大事典 「新井石禅」の解説

新井 石禅 (あらい せきぜん)

生年月日:1865年12月19日
明治時代;大正時代の曹洞宗僧侶
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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