雲洞庵(読み)ウンドウアン

デジタル大辞泉 「雲洞庵」の意味・読み・例文・類語

うんどう‐あん【雲洞庵】

新潟県南魚沼市にある曹洞宗の寺。山号金城山。応永27年(1420)上杉憲実うえすぎのりざね再興し、中興開山曇英恵応どんえいえおう。上杉家の菩提寺

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日本歴史地名大系 「雲洞庵」の解説

雲洞庵
うんとうあん

[現在地名]塩沢町雲洞

雲洞の集落南東、金城きんじよう山の山裾にある。曹洞宗、金城山と号し、本尊釈迦如来。県内に二〇ヵ寺、県外に七ヵ寺の末寺を擁する曹洞宗越後四箇道場の一であった。寺伝によると、養老年間(七一七―七二四)藤原房前が亡母のために比丘尼寺を建立したのを初めとしたという。当初は律宗で雲洞寺と称したという。その後一時衰微。再興について「日本洞上聯燈録」では、応永二七年(一四二〇)上杉憲実慈光じこう(現中蒲原郡村松町)の僧顕窓を招いて再興し、曹洞宗に改めたとする。元禄一〇年(一六九七)の雲洞庵言上書(雲洞庵文書)では、永享元年(一四二九)上杉憲実が耕雲こううん(現村上市)の顕窓を招いて再興し、曹洞宗に改めたという。「新編会津風土記」では応永二七年に上杉憲実が殿堂を修理し、永享元年に耕雲寺の顕窓を招いて開山とするとある。再興以前は、雲洞庵言上書によると、養老元年に金城山巌屋の薬師において熊野権現垂迹があり、さらに同年に蔵王権現を金城山に勧請して当寺の鎮守とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「雲洞庵」の意味・わかりやすい解説

雲洞庵
うんとうあん

新潟県南魚沼(みなみうおぬま)市雲洞にある寺。曹洞(そうとう)宗越後(えちご)四道場の一つ。金城(きんじょう)山と号する。717年(養老1)藤原鎌足(かまたり)の孫にあたる房前(ふささき)が母の追善供養(ついぜんくよう)のために一寺を建立したのが始まりで、当時は真言律宗(りっしゅう)であった。1420年(応永27)上杉憲実(のりざね)が曇英恵応(どんえいえおう)を中興開山とし、曹洞宗に改めた。上杉家の菩提寺(ぼだいじ)として栄え、第10世の北高(ほくこう)は上杉謙信(けんしん)、武田信玄(しんげん)の帰依(きえ)を受けた。寺宝は順徳(じゅんとく)天皇御宸筆(ごしんぴつ)額面軍配団扇(ぐんばいうちわ)など。

菅沼 晃]

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デジタル大辞泉プラス 「雲洞庵」の解説

雲洞庵(うんとうあん)

新潟県南魚沼市にある曹洞宗の寺院。山号は金城山。養老年間に藤原房前が建立した律宗の寺が起源と伝わる。関東管領・上杉憲実が再興し、曹洞宗に改宗

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世界大百科事典(旧版)内の雲洞庵の言及

【塩沢[町]】より

…豪雪地帯にあって石打丸山など七つのスキー場があり,隣接の湯沢町とともに日本最大級のスキー観光地を形成している。《北越雪譜》で知られる鈴木牧之の出身地で,記念館が長恩寺境内にあり,また上杉氏ゆかりの曹洞宗の名刹(めいさつ)雲洞庵がある。上越線,国道17号線が通じる。…

※「雲洞庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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