護国院(読み)ゴコクイン

デジタル大辞泉 「護国院」の意味・読み・例文・類語

ごこく‐いん〔‐ヰン〕【護国院】

紀三井寺きみいでら

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精選版 日本国語大辞典 「護国院」の意味・読み・例文・類語

ごこく‐いん‥ヰン【護国院】

  1. 和歌山市紀三井寺名草山中腹にある救世(ぐぜ)観音宗の総本山。もと真言宗山階派。正式名は紀三井山金剛宝寺護国院。宝亀元年(七七〇)、唐僧の為光が自作の千手観音像を安置したのが創始と伝えられる。のち、後白河法皇により勅願寺となった。西国三十三所の第二番札所。紀三井寺。

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日本歴史地名大系 「護国院」の解説

護国院
ごこくいん

[現在地名]鹿島町宮中

鹿島神宮の南西に位置する。降魔山と号し、真言宗智山派。本尊は五大明王で、通称は護摩堂

和銅二年(七〇九)鹿島神宮の境内に創建されたと伝えられ、初めは三論宗に属したといわれる。建久初年に神宮寺が神宮社殿の北東井馬場いのばば傍らに移転再建された際、護国院は護摩堂として中興され、鎌倉末期に神宮寺と同様真言宗醍醐寺の松橋流に改められたという(茨城県史料)。康永二年(一三四三)九月一四日の高師冬奉書(護国院文書)に「常陸国行方郡若舎人郷内根地木村事、為不断護摩料所々寄附也」とみえ、室町幕府は高師冬に命じて鹿島神宮に武運長久を祈らせたが、この頃には護摩堂は祈祷の寺になっていた。


護国院
ごこくいん

[現在地名]北区楠町味鋺 堂の前

味鏡山天永てんえい寺と号し、真言宗智山派。本尊薬師如来。当寺の文明一二年(一四八〇)勧進状によれば、聖武天皇の代、行基が建立して薬師寺と号し栄え、賊難洪水などの災害で退転し、天永二年(一一一一)鳥羽天皇勅願によって安食あじき柏井かしわいの両郷を与えられ、西弥が再興、文明一一年全焼したという。

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事典・日本の観光資源 「護国院」の解説

護国院(第2番)

(和歌山県和歌山市)
西国三十三箇所指定の観光名所。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「護国院」の意味・わかりやすい解説

護国院
ごこくいん

紀三井寺

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世界大百科事典(旧版)内の護国院の言及

【紀三井寺】より

…西国三十三所第2番の札所。紀三井山金剛宝寺と号し,護国院を正称とする。紀三井寺の称は,山内3ヵ所の霊泉にちなむというが,付近の地名〈毛見(けみ)〉にもとづく毛見寺より出たものか。…

※「護国院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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