デジタル大辞泉
「護国院」の意味・読み・例文・類語
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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護国院
ごこくいん
[現在地名]鹿島町宮中
鹿島神宮の南西に位置する。降魔山と号し、真言宗智山派。本尊は五大明王で、通称は護摩堂。
和銅二年(七〇九)鹿島神宮の境内に創建されたと伝えられ、初めは三論宗に属したといわれる。建久初年に神宮寺が神宮社殿の北東、井馬場の傍らに移転再建された際、護国院は護摩堂として中興され、鎌倉末期に神宮寺と同様真言宗醍醐寺の松橋流に改められたという(茨城県史料)。康永二年(一三四三)九月一四日の高師冬奉書(護国院文書)に「常陸国行方郡若舎人郷内根地木村事、為不断護摩料所々寄附也」とみえ、室町幕府は高師冬に命じて鹿島神宮に武運長久を祈らせたが、この頃には護摩堂は祈祷の寺になっていた。
護国院
ごこくいん
[現在地名]北区楠町味鋺 堂の前
味鏡山天永寺と号し、真言宗智山派。本尊薬師如来。当寺の文明一二年(一四八〇)勧進状によれば、聖武天皇の代、行基が建立して薬師寺と号し栄え、賊難・洪水などの災害で退転し、天永二年(一一一一)鳥羽天皇の勅願によって安食・柏井の両郷を与えられ、西弥が再興、文明一一年全焼したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の護国院の言及
【紀三井寺】より
…西国三十三所第2番の札所。紀三井山金剛宝寺と号し,護国院を正称とする。紀三井寺の称は,山内3ヵ所の霊泉にちなむというが,付近の地名〈毛見(けみ)〉にもとづく毛見寺より出たものか。…
※「護国院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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