原義は何らかの束縛から自由になること。特に、迷いの世界から抜け出ること。また、それを実現した悟りの境地。「大般涅槃経‐五」に「夫涅槃者名為二解脱一」とあるように、涅槃と同義ともされる。後には段階をつけて分類するようになった。
インド思想一般および仏教用語。一般にはサンスクリット語の名詞ビムクティvimukti(パーリ語はビムッティvimutti)の訳語。これは動詞ビ・ムチュvi-muc(解き放す)からの派生語である。また受身形ビムチュヤテーvimucyate(パーリ語はビムッチャティvimuccati。解き放される)が動詞として「解脱する」の意味に用いられる。また解脱のサンスクリット語として、ムクティmukti、ビモークシャvimoka、モークシャmokaなどが用いられることも多い。
インド思想一般において、解脱は、現世、迷いの世界、輪廻(りんね)などの苦しみから解き放された理想的な心の境地と考えられ、この解脱を得ることが人生最大の目的とされた。解脱の詳細な内容や、そこへ至る方法は、各学派によってさまざまであるが、とくにわが国では、この語は仏教と結び付いて用いられてきた。
原始仏教聖典にはしばしば「心が煩悩(ぼんのう)より解き放される(解脱する)」の文脈がみられる。それゆえ解脱とは「煩悩から解き放された心の状態」である。このためには三学(戒(かい)、定(じょう)、慧(え))中の慧(プラジュニャーprajñā。智慧(ちえ))が必要であり、この慧は中道(ちゅうどう)、八正道(はっしょうどう)、四諦(したい)、縁起(えんぎ)、無我などの理解より生ずる。
小乗仏教においてもこの図式は変わらないが、とくに四諦の長期間にわたる絶え間ない学習、研究が重視され、これによって生じた智慧(これには一種の力シャクティśakti、サーマルティヤsāmarthyaがあるとされる)によって煩悩が断ぜられるとする。いっさいの煩悩がなくなった心の状態が解脱であるから、これはまた涅槃(ねはん)(とくに有余依(うよえ)涅槃、すなわちこの世に生存している間に得られる涅槃)とまったく同一である。この境地に到達した聖者は阿羅漢(あらかん)とよばれる。四諦の研究は人間存在を冷徹に見据えるけれども他者への働きかけが乏しいために、大乗仏教徒は四諦を重んじなかった。彼らは空(くう)を理解する智慧(般若(はんにゃ))と、大悲(だいひ)に基づいて一切衆生(いっさいしゅじょう)を救わんとする方法(方便、ウパーヤupāya)の二つが結び付いた般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)(プラジュニャーパーラミターprajñāpāramitā)こそが解脱、涅槃であると主張した。つまり大乗の解脱は、空に基づく他者への実践のなかにみいだされる。このためには六波羅蜜(布施(ふせ)、持戒、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧)の長期にわたる修行が必要であるとする。なお後代の密教はこの大乗の思想を受けて発展させ、とくに弘法大師(こうぼうだいし)(空海)はこの解脱がこの世において得られること(即身成仏(そくしんじょうぶつ))を強調した。
[加藤純章]
『仏教思想研究会編『仏教思想8 解脱』(1982・平楽寺書店)』
モークシャmokṣa,ムクティmuktiなどの漢訳語。古来,インドで宗教の最高目標とされてきたもので,輪廻(りんね)(サンサーラsaṃsāra)からの脱却,〈苦〉からの脱却,永遠の生,不死など種々の定義があるが,全体として必ずなんらかの意味で輪廻からの脱却ということにかかわっている。歴史的にも,解脱の考えは輪廻思想の誕生と同時に発生している。
輪廻思想は,文献の上で見るかぎり,古ウパニシャッド(前7世紀前後)に初めて現れる。その記述によれば,輪廻の教えはベーダの伝統を直接担っている司祭階級(バラモン)ではなく,武人階級(クシャトリヤ)が伝え保ってきたとされており,アーリヤ人以外の先住民族の宗教に端を発するものであることが推察される。古ウパニシャッドの説く輪廻説は〈五火二道説〉と総称されるが,とくに二道説について見れば以下のごとくである。すなわち,人は死んで火葬に付されたのち,いったん全員月世界に赴く。そのうち,前生で善をなし,正しい知識をもって正しく祭祀を遂行した人たちは,月世界を離れ,ブラフマー(梵天)の世界に達し,二度と再びこの世に戻ってこない。この経路を〈神道(しんどう)(デーバ・ヤーナdeva-yāna)〉という。その他の人々は,一定期間月世界にとどまったのち,雨(雨は月から降ると考えられていた)とともにこの世に舞い戻る。やがて植物の種子に入りこみ,それを食べた人や犬などの精子となり,ついには人や犬などとして再生する。何ものとして再生するかは,前生での善悪の寡多による。この経路を〈祖道(そどう)(ピトゥリ・ヤーナpitṛ-yāna)〉という。祖道によってこの世に再生したものはやがてまた老死の苦しみを受けるが,神道によってブラフマーの世界に達したものには再生がなく,したがってまた死ぬこともない。つまり,〈不死〉を得たことになる。仏教でも古い文献には,〈解脱〉の代りに〈不死〉という言葉がしばしば用いられている。
仏教では,われわれの輪廻的生存を〈苦〉そのものであるとし,さかのぼってその最終的原因を〈渇愛(かつあい)(トゥリシュナーtṛṣṇā)〉ないし〈無明(むみよう)(アビドゥヤーavidyā)〉と見る。したがって,それを滅ぼせば輪廻的生存はやみ,〈苦〉もなくなることになる。そのためには,この世の〈苦〉の真相とその克服法についての真実(サティヤsatya,〈諦(たい)〉)の知(ビドゥヤーvidyā,〈明(みよう)〉)を得なければならないとする。その真実の知を仏教では悟り(ボーディbodhi,菩提(ぼだい),覚(かく))といい,それを得た人をブッダbuddha(仏陀,覚者)といい,悟りの境地をニルバーナnirvāṇa(涅槃(ねはん))という。
仏教以降に出た諸派の解脱観については,たとえばサーンキヤ学派,ヨーガ学派は,自己の本体であるプルシャpuruṣa(純粋精神)を,身体(ふつうの意味での意識も含む)や外界など物質的なものから完全に区別して知ること(区別知,ビベーカviveka)によって,純粋精神が物質的なものから完全に孤立すること(独存(どくそん),カイバルヤkaivalya)が解脱であるとし,ベーダーンタ学派は,自己の本体であるアートマンātman(我(が))が実は宇宙の本体であるブラフマンbrahman(梵)と同一であると明らかに知ること(〈明〉)によって解脱が得られるとするが,いずれにしても,真実の知によって解脱が得られるとする点では,基本的に上述の仏教の考え方と軌を一にする。
→苦 →悟り
執筆者:宮元 啓一
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「あらゆる束縛とか苦悩や罪垢(ざいく)から解放された自由な境地」を意味する。サンスクリット語の漢訳。インドにおいて,古くからカーマ(kāma,愛欲),アルタ(artha,実利),ダルマ(dharma,法)と並んで人生において達成をめざすべき四大目的の一つとされ,諸宗教,哲学諸派のいずれにおいても究極的到達の目標とされていた。仏教においては,煩悩(ぼんのう)の束縛から脱して迷いの苦しみから離れることが達成された,修行実践の極致の境地の意味に用いられ,涅槃(ねはん)の同義とされる。
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…禅定や三昧によって表層意識を消滅させつつ深層意識を自覚化していき,最深層意識をも消滅させると同時に,彼自身の実存においてあらゆる衆生にゆきわたる根本真理を知る知恵を得,悟りを悟ったのである。したがって悟りとは,そのようなしかたで自我的な人格から解脱して自由になり,衆生に対して無礙(むげ)自在にはたらく新しい仏菩薩的人格へと生まれ変わることであるといってよい。しかし悟りによって悟られる具体的な真理や悟りを表現する言葉は,さまざまな時代や地域においてさまざまに異なっていた。…
…前者が神による救いを強調するのに対して,後者は仏になることで得られる救いを重視するといってもいい。そしてこれまで,“神による”キリスト教的な救いは〈救済〉――被造物の至福――と呼ばれ,それに対して“仏になる”仏教的な救いは〈解脱(げだつ)〉――みずから覚醒する者の境涯――と呼ばれるのが普通であった。このような〈救済〉と〈解脱〉という対照的な概念は,さまざまな宗教経験を類型的に分析するうえで有効とされてきたが,もちろんキリスト教的世界に〈解脱〉的契機を内包する宗教経験が存在しなかったわけではなく,同様に仏教世界においても〈救済〉的な立場をとる宗教経験がなかったわけでもない。…
…種姓制度はカースト制度と結びついて,今日も農村社会を中心に根強いものがある。ダルマの実践は,物質的・経済的利益を追求する実利(アルタ),愛情・性愛を追求する愛欲(カーマ),および次に説明する解脱とともにヒンドゥー教徒の人生の四大目的とされている。(4)解脱 法,実利,愛欲はたとえ実現されたとしても,得られる結果はせいぜい天界に生まれることが最高の果報であり,結局,輪廻の中にとどまっているにすぎない。…
…イスラム教の創始者ムハンマド(マホメット)は人間であり,その限り,イスラエル的な預言者の型に属する。【山形 孝夫】
[仏教]
仏教では,ある特定の個人の死後の運命,特に解脱や成仏(じようぶつ)に関して,〈ビヤーカラナ〉と呼ばれる一種の予言が行われた。修行によってある境地に達した人物の死後の運命(解脱するかどうか)について釈迦が予言を与えたことは,〈阿含経(あごんきよう)〉など比較的古い経典にもみられる。…
…このような業,輪廻説をはじめに体系的に主張したのは最高の祭司身分であったバラモンたちであり,それ以後,階級差別の社会組織を合理化するための一種の思想的武器として利用されることにもなった。輪廻の考え方はのちに仏教にも受けつがれ,無明(むみよう)(無知)と愛執(あいしゆう)によって輪廻が生じ,それを絶ち切ることによって涅槃(ねはん)や解脱(げだつ)が得られると説かれた。仏教ではこの輪廻のことをとくに〈六道輪廻〉(六道)と呼び,死後の迷いの世界を地獄,餓鬼,畜生,修羅,人間,天上の六つの生き方(転生)に分けて整理した。…
※「解脱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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