新日本石油(読み)しんにほんせきゆ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「新日本石油」の意味・わかりやすい解説

新日本石油
しんにほんせきゆ

日本の元大手石油会社。現、ENEOS。1888年(明治21)石油採掘、精製を目的に新潟県刈羽(かりわ)郡西山町(現、柏崎(かしわざき)市)で地元の名士らによって設立された有限責任日本石油会社が起源である。日本石油は、新潟、秋田で油田を開発し販売活動も展開して、1914年(大正3)には本社を東京に移転。1921年に宝田(ほうでん)石油を合併して業界を代表する企業となった。世界的な原油生産過剰に対応して、原油輸入、国内精製方式を採用。1941年(昭和16)の採油部門での国策会社帝国石油(現、国際石油開発帝石)の設立に伴い、翌1942年同社に採掘部門を譲渡。販売部門も石油共販会社に移して、いったん精製専業となった。1941年の小倉(おぐら)石油との合併により日本石油の精製能力は国内の80%を占めるに至った。

 第二次世界大戦後はアメリカのカルテックス社と提携し、同社と折半出資で合弁子会社日本石油精製を設立(1951)。日本石油精製に太平洋岸での精製事業を譲渡し、販売部門に重点を置いた(日本海岸での精製は直営)。1955年(昭和30)には日本石油化学(2008年新日本石油精製に吸収合併された)を設立、石油化学工業にも進出した。1984年石油元売り当時第6位の三菱(みつびし)石油(1931年設立)と業務提携の基本協定締結。1996年(平成8)にカルテックスが日本石油精製の持ち株を手離して提携を解消したことで、日本石油精製の全株式を取得した。日本石油は1999年4月、三菱石油と合併して、日石三菱として新発足した。合併後、新ブランド「ENEOS(エネオス)」を系列のガソリンスタンドに全面的に導入し、2002年(平成14)6月には社名を合併会社色の濃い「日石三菱」から新日本石油に改称した。日本石油精製は、2001年に完全子会社化した興亜石油、東北石油と2002年4月に合併、精製部門の「新日本石油精製」として統合された。新日本石油は2010年4月、日鉱金属とジャパンエナジーの共同持株会社「新日鉱ホールディングス」と経営統合し、持株会社「JXホールディングス」を設立。同年7月、傘下の新日本石油とジャパンエナジーは石油精製販売事業を統合・再編し、JX日鉱日石エネルギーとなった。2016年JXエネルギーに改称、翌2017年東燃ゼネラル石油と合併してJXTGエネルギーとなり、2020年(令和2)、ENEOSに社名を変更した。2008年時点の新日本石油の資本金1394億円、売上高6兆7064億円、従業員数2350。

[橘川武郎 2018年12月13日]

『日本石油株式会社・日本石油精製株式会社社史編さん室編『日本石油百年史』(1988)』


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百科事典マイペディア 「新日本石油」の意味・わかりやすい解説

新日本石油[株]【しんにほんせきゆ】

日本の石油元売り最大手。1999年4月日本石油三菱石油が合併して日石三菱となり,2002年6月社名を新日本石油と変更した。国産天然ガスの最大手帝国石油筆頭株主(出資比率16.4%)でもあり,石油事業を中核としてガスや新エネルギーを含む総合エネルギー企業を目指す。2010年新日鉱ホールディングスと経営統合し,JXホールディングスが発足。同年ジャパンエナジーと合併し,JX日鉱日石エネルギーとなる。
→関連項目コスモ石油[株]

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