略称全協。1928年(昭和3)に結社を禁止された日本労働組合評議会(評議会)の後身として半非合法に結成された左翼労働組合。評議会禁止後ただちに再建が企てられたが、これも禁止され、中間派組合を含めたより広い組織をつくろうとしたが失敗。まず左派組合の結集を図るため、同年12月23日に全国代表者会議を開き、全協準備会を組織したが、創立大会が開けず、この日が創立日とされる。プロフィンテルン(赤色労働組合インターナショナル)に加盟して、機関紙『労働新聞』を発行し、満州事変に際しては反戦闘争を展開し、32年には出征兵士の給料全額支給などを要求した東京地下鉄争議などを指導した。
日本共産党の指導下にあるため幹部が次々に検挙されて未熟な幹部が登用され、1930年のメーデーで神奈川県川崎市の会場に竹槍(たけやり)を持ち込むなどの極左戦術をとり、内部に分派=全協刷新同盟が発生して、この克服のために苦闘しなければならなかった。また、32年9月には「君主制の廃止」をスローガンに掲げたため、相次ぐ弾圧と相まっていよいよ先細りになり、34年ごろには実質的に壊滅状態になり、まもなく自然消滅した。敗戦後の労働組合の再建活動のなかでは、全協の活動家の指導が大きな役割を果たした。
[松尾 洋]
『労働運動史料刊行委員会編『日本労働運動史料 第八巻』(1975・東京大学出版会)』▽『渡部徹著『日本労働組合運動史』(1954・青木書店)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…1930年,大恐慌下で鐘紡争議や東京市電争議などの激化をみた佐野博や田中清玄らの日本共産党幹部は,革命情勢が客観的にも主観的にも成熟したと判断して日本労働組合全国協議会(全協)にメーデーを武装して闘うよう指示した。神奈川県川崎では,全協組合員約20人が日本石油とライジングサンの製油所を破壊し鶴見警察署を襲撃する目的でピストル,竹やりなどで武装してメーデー会場に乗り込んだが,警官隊に制圧され,東京でも武装した全協組合員がメーデー行進を国会議事堂に誘導して襲撃する計画であったが厳戒のため果たさなかった。…
※「日本労働組合全国協議会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新