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日本労働組合全国協議会 にほんろうどうくみあいぜんこくきょうぎかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日本労働組合全国協議会
にほんろうどうくみあいぜんこくきょうぎかい

略称,全協日本共産党の影響下にあった日本労働組合評議会 (評議会) 解散のあとをうけて,1928年 12月に結成された左翼労働組合。評議会同様に日本共産党の指導下にあり,産業別統一戦線を目指したが,相次ぐ弾圧でほとんど非合法運動に終止した。

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百科事典マイペディアの解説

日本労働組合全国協議会【にほんろうどうくみあいぜんこくきょうぎかい】

略称は全協。1928年日本労働組合評議会の再建を図って結成。日本共産党の指導下のプロフィンテルンに加盟。1930年の川崎武装メーデー,1932年の東京地下鉄争議など戦闘的に活動したが,きびしい弾圧により1934年に壊滅。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日本労働組合全国協議会
にほんろうどうくみあいぜんこくきょうぎかい

略称全協。1928年(昭和3)に結社を禁止された日本労働組合評議会(評議会)の後身として半非合法に結成された左翼労働組合。評議会禁止後ただちに再建が企てられたが、これも禁止され、中間派組合を含めたより広い組織をつくろうとしたが失敗。まず左派組合の結集を図るため、同年12月23日に全国代表者会議を開き、全協準備会を組織したが、創立大会が開けず、この日が創立日とされる。プロフィンテルン(赤色労働組合インターナショナル)に加盟して、機関紙『労働新聞』を発行し、満州事変に際しては反戦闘争を展開し、32年には出征兵士の給料全額支給などを要求した東京地下鉄争議などを指導した。
 日本共産党の指導下にあるため幹部が次々に検挙されて未熟な幹部が登用され、1930年のメーデーで神奈川県川崎市の会場に竹槍(たけやり)を持ち込むなどの極左戦術をとり、内部に分派=全協刷新同盟が発生して、この克服のために苦闘しなければならなかった。また、32年9月には「君主制の廃止」をスローガンに掲げたため、相次ぐ弾圧と相まっていよいよ先細りになり、34年ごろには実質的に壊滅状態になり、まもなく自然消滅した。敗戦後の労働組合の再建活動のなかでは、全協の活動家の指導が大きな役割を果たした。[松尾 洋]
『労働運動史料刊行委員会編『日本労働運動史料 第八巻』(1975・東京大学出版会) ▽渡部徹著『日本労働組合運動史』(1954・青木書店)』

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世界大百科事典内の日本労働組合全国協議会の言及

【全協】より

…日本労働組合全国協議会の略称。評議会(日本労働組合評議会)解散後,左翼組合が再結集して1928年12月23日全国代表者会議を開き,全協準備会を結成し事実上発足した。…

【武装メーデー】より

…1930年,大恐慌下で鐘紡争議や東京市電争議などの激化をみた佐野博や田中清玄らの日本共産党幹部は,革命情勢が客観的にも主観的にも成熟したと判断して日本労働組合全国協議会(全協)にメーデーを武装して闘うよう指示した。神奈川県川崎では,全協組合員約20人が日本石油とライジングサンの製油所を破壊し鶴見警察署を襲撃する目的でピストル,竹やりなどで武装してメーデー会場に乗り込んだが,警官隊に制圧され,東京でも武装した全協組合員がメーデー行進を国会議事堂に誘導して襲撃する計画であったが厳戒のため果たさなかった。…

※「日本労働組合全国協議会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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