日野郷(読み)ひのごう

日本歴史地名大系 「日野郷」の解説

日野郷
ひのごう

和名抄」高山寺本に「日野」と記し「賓能」と訓じ、流布本では「比無乃」とする。この訓について「日本地理志料」は「按比無乃、高山寺本作賓能、亦従方言也、日野ハ修火野也」とし「ひの」が正しく「ひんの」は方言であるとし、「大日本地名辞書」も訓を「ヒムノとするは、当時の訛言なるべし」という。また「信濃地名考」は「日野は按ずるに今の日滝なるべし、いにしへ烽火を置かれたる地名なるべし」と記しているが、「日本地理志料」もこの説をとり、「今有日滝村、即火焚ひたき也、蓋烽燧之遺名」と記す。


日野郷
ひのごう

長良川左岸、舟伏ふなぶせ山付近一帯に成立していたとみられる。嘉禎四年(一二三八)六月二〇日の多賀江二郎宛の関東御教書(永井直衛氏所蔵文書)によれば、京都の治安維持のために設置された篝屋で焚く篝火の薪のため「美濃国日野村・伊与国周敷北条地頭得分」に対し用途銭一〇貫文が課せられ、その代りに関東御公事と守護使入部が停められている。長禄二年(一四五八)四月一六日の足利義政御教書写(北野神社古文書)では、京都北野社社家に還付された北野宮寺造営料所のうちに郷名がみえる。


日野郷
ひのごう

郡名を負う郷で、「和名抄」東急本国郡部では郡名の日野に「比乃」の訓を付す。遺称地はなく、日野郡の他の郷比定地の分布などから推定すると現日野町黒坂くろさか付近に比定され(日野郡史)、日野川中流域、同町の旧黒坂村・菅福すげふく村地区を中心とした地域と想定される。


日野郷
ひのごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。「延喜式」神名帳記載の「日野ヒノヽ神社」は当郷にあったと推定される。「因幡志」は牧谷まきだに(現岩美町)日野谷ひのだになどの字名があることから同所を遺称地とし、また日野神社の旧鎮座地であるとも記す。牧谷を中心として現岩美いわみ町の海岸部を含む地域一帯に比定される。中世にも日野郷として継承され、室町時代には郷内に京都北野社領吉田よしだ保が成立していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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