旧二条離宮〈二条城〉(読み)きゅうにじょうりきゅう〈にじょうじょう〉

国指定史跡ガイド 「旧二条離宮〈二条城〉」の解説

きゅうにじょうりきゅう〈にじょうじょう〉【旧二条離宮〈二条城〉】


京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町にある江戸時代の城跡。京都市街の中央、平安京の大内裏であった場所の南東端とその南にあった禁園(天皇の庭園)である「神泉苑(しんせんえん)」跡とにまたがって立地する。東西約500m、南北約400mのほぼ長方形で、縄張りの形式は本丸四方を二の丸で取り囲む輪郭式。約150m四方の本丸は中央より西寄りに配され、本丸と二の丸の間には内堀が、二の丸の周りには外堀が造られている。城門は東西南北に1つずつあり、正門は堀川通に面した東大手門である。1601年(慶長6)、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が上洛時の宿所として二条城の築城を決め、町屋を立ち退かせ、西国諸大名に造営費用と労務を割り当てて、1603年(慶長8)に落成した。天守は寛永年間(1624~44年)に伏見城から移築され、矢倉小天守が付属する複合式の5重5階のものであったが、1750年(寛延3)に落雷焼失、以来再建されることはなく、現在は、天守台のみが残る。また、二の丸庭園は小堀遠州(こぼりえんしゅう)の名で知られる小堀政一(まさかず)の代表作として挙げられることも多い、桃山様式池泉回遊式庭園である。幕末の1867年(慶応3)には二条城に40藩の重役が参集して会議が開かれ、二の丸御殿大広間において第15代将軍、徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還を発表する歴史的な場になった。明治時代中期、宮内省(当時)の所管となって、二条離宮と改称された。二の丸御殿は国宝に、本丸御殿、城門など多くの建物が重要文化財に指定され、全域が1939年(昭和14)に国の史跡に指定された。1994年(平成6)には「古都京都の文化財」の一部として、世界遺産に登録された。京都市営地下鉄東西線二条城前駅から徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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