小説家。満州(中国東北地方)ハルビン生まれ。第二次世界大戦後引き揚げる。本名鐘ヶ江秀吉(かねがえひでよし)。慶応義塾大学文学部中退。1950年代なかばごろから山本周五郎の知遇を得て、弟子をとらなかったことで有名な山本の数少ない門下生の一人となる。すでにそれ以前から倶楽部(クラブ)雑誌、読切雑誌などと呼ばれた大衆雑誌で活躍し、原稿料のみで生活できていた早乙女だったが、師となる山本との出会いをきっかけに、倶楽部雑誌作家からの脱却を目指して、自身も歴史・時代小説に取り組み、新しい領域を広げていく。
伊藤桂一、童門冬二、生田直親(なおちか)(1929―93)、尾崎秀樹(ほつき)(1928―99)らが参加していた同人誌『小説会議』に本格的な歴史小説を発表し始めたのもそうした活動の一つで、同誌26号に発表した『鬼の骨』(1966)、28号の『叛臣伝』(1967)がそれぞれ直木賞の候補となる。さらに第6号から10号に連載し、未完となっていた『野鶏路(ヤチイロ)』に手を加えた1968年(昭和43)の書き下ろし長編『僑人の檻(おり)』で第60回直木賞を受賞する。
同作品は明治初期に横浜港で起きたペルー船の清国人奴隷解放事件(マリア・ルーズ号事件)に新しい照明を当てた、重量感溢れる本格的歴史小説である。マカオからペルーへ向かう機帆船マリア・ルーズ号が海上で暴風に遭遇。修理のために横浜へ入港したおり、狭い船倉に詰め込まれていた清国人の移民が奴隷的な待遇に耐えかねて脱走をはかり、英国軍艦に保護されたことから日本政府が調査にあたるという史実を描いたこの作品によって、早乙女は文壇における地位を確立するとともに作品の飛躍的な充実ぶりを見せる。
早乙女作品の傾向は大きく分けて二つある。一つは史実に取材した歴史小説で、『僑人の檻』のほか『おけい』『血槍三代』(ともに1974)、『北条早雲』(1976)などがある。もう一方は伝奇的な時代小説で、娯楽に徹した忍法ものや特異な剣客を描いた波瀾万丈の物語により多くの読者を獲得した。しかし、彼の代表作は前者に属する『会津士魂』(1985~1988)である。この作品は『歴史読本』1971年1月号から連載が開始し、1988年10月号で終了するまで17年間にわたって書き継がれた。また同作によって1988年度吉川英治文学賞を受賞するが、1989年(平成1)から同誌で『続会津士魂』の連載を再開。同シリーズ全21巻が完結したのが2001年と、およそ30年間をこの一作に費やしてきた。
早乙女の曾祖父は戊辰(ぼしん)戦争を戦った会津藩士であった。会津藩は明治維新以降の歴史では逆賊、朝敵の汚名を着せられるが、それは勝利者である薩摩、長州の側から書かれた歴史でもあった。そこに彼は自身の生い立ちと経験を重ね合わせたのだ。植民地であった生まれ故郷が母国の敗戦で消滅し、異国となった外地から引き揚げるという体験は、同時に歴史の非情さを味わうことでもあった。それはまた、会津藩士だった曾祖父の体験と相通ずるものであった。早乙女にとっての明治維新は、自らの血につながる歴史であり、そうした実感から日本の近代史を検証しようとしたのである。その結果として『会津士魂』に描かれる明治維新はけっして革命による改革ではなく、維新軍も「官軍」とはみなされてはおらず、明治維新は薩摩、長州、土佐の連合勢力による政治的な陰謀であったとの主張が全編に貫かれている。こうした作者の反骨精神は、戦国ものから幕末ものまで、数ある作品のなかに見事に生かされている。
[関口苑生]
『『僑人の檻』(1968・講談社)』▽『『おけい』『北条早雲1~5』(文春文庫)』▽『『血槍三代』『会津士魂1~13』『続会津士魂1~8』(集英社文庫)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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