尾崎秀樹(読み)オザキホツキ

デジタル大辞泉 「尾崎秀樹」の意味・読み・例文・類語

おざき‐ほつき〔をざき‐〕【尾崎秀樹】

[1928~1999]文芸評論家。台湾台北市の生まれ。兄秀実ほつみの処刑されたゾルゲ事件を追った「生きているユダ」「ゾルゲ事件」で知られる。中国文学大衆文学研究・評論など幅広い分野で活躍。「大衆文学論」で芸術選奨、「大衆文学の歴史」で吉川英治文学賞

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20世紀日本人名事典 「尾崎秀樹」の解説

尾崎 秀樹
オザキ ホツキ

昭和・平成期の文芸評論家,小説家



生年
昭和3(1928)年11月29日

没年
平成11(1999)年9月21日

出生地
台湾・台北

学歴〔年〕
台北帝国大学附属医学専門部中退

主な受賞名〔年〕
芸術選奨文部大臣賞(文学・評論部門 第16回)〔昭和40年〕「大衆文学論」,日本文芸大賞(第6回)〔昭和61年〕「愛をつむぐ」,大衆文学研究賞(特別賞 第3回)〔平成1年〕「大衆文学の歴史」,吉川英治文学賞〔平成2年〕「大衆文学の歴史」,巌谷小波文芸賞(第16回)〔平成5年〕「少年小説大系(全11巻 別巻1)」,紫綬褒章〔平成6年〕,日本文芸大賞(特別賞 第18回)〔平成10年〕「時代を生きる―文学作品にみる人間像」

経歴
台北帝大医専に進むが敗戦で中退。昭和21年日本に引揚げ、新聞記者などいくつかの職を経る。闘病生活のあと、30年「大衆文学」、40年「大衆文学論」(芸術選奨文部大臣賞)をまとめ、以後、大衆文学研究家として知られるようになる。55年には明治元年から終戦までの大衆文学の通史年表、雑誌の総目録などが総括された“通史資料”を7年越しにまとめた。また、兄・秀実(ほつみ)らが処刑されたゾルゲ事件を「生きているユダ」「ゾルゲ事件」などで究明。中国文学、魯迅研究などの著書も多い。平成5年日本ペンクラブ会長に就任した他、日本文芸家協会常務理事などを歴任。他の著書に「魯迅との対話」「旧植民地文学の研究」「日本と日本人」「さしえの50年」「大衆文学の歴史」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「尾崎秀樹」の意味・わかりやすい解説

尾崎秀樹【おざきほつき】

文芸評論家。台湾生れ。台北帝国大学(現,国立台湾大学)医学専門部中退。大衆文学研究や旧植民地文学研究の第一人者で,1961年に大衆文学研究会を設立し,日本ペンクラブ会長も務めた。幅広いジャンルに関心をもち,豊富な文章量とまわりを和ませる人柄によって,大衆文学に市民権を与えることに貢献した。主著は《大衆文学論》(1965年度芸術選奨文部大臣賞受賞)や《旧植民地文学の研究》《大衆文学の歴史》など。兄はゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実(ほつみ)で,自身の著作《生きているユダ》《ゾルゲ事件》で事件の真相を究明した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾崎秀樹」の解説

尾崎秀樹 おざき-ほつき

1928-1999 昭和後期-平成時代の文芸評論家。
昭和3年11月29日台湾台北生まれ。尾崎秀実(ほつみ)の弟。昭和34年「生きているユダ」,38年「ゾルゲ事件」を刊行,兄をうばった事件を追う。その間に大衆文学研究会を設立,41年「大衆文学論」で芸術選奨,平成2年「大衆文学の歴史」で吉川英治文学賞。中国文学に関する著作もおおい。日本ペンクラブ会長もつとめた。平成11年9月21日死去。70歳。台北帝大付属医学専門部中退。

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367日誕生日大事典 「尾崎秀樹」の解説

尾崎 秀樹 (おざき ほつき)

生年月日:1928年11月29日
昭和時代;平成時代の文芸評論家;小説家
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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