朝鮮,李朝のハングル小説。作者未詳。18世紀初めにパンソリ演唱者により唱物語として創作され,公演される間に小説化された。全羅道南原に住む妓生(キーセン)の娘春香と府使の子李夢竜はふとした出会いから熱烈な愛のとりこになる。しかし歓喜の逢瀬もつかのま,夢竜は父の栄転で都に去り,残された春香は新任の好色な卞(べん)学道の添寝の命を拒んで笞打たれ牢に入れられる。科挙に及第し暗行御史(王の隠密派遣使)に任命された夢竜は乞食に扮して南原に下り,卞府使の誕生の酒宴が開かれ,春香が処刑される当日に現れて,悪政をさばき春香を助け出す。二人は上京し王の特旨でめでたく結ばれる。物語の劇的展開に加えて,庶民の反抗精神を代弁した風刺,俗語の使用による親近感,さらに登場人物の造型にもみごとに成功し,今日でも小説,パンソリ,映画を通じて広く愛好される。李朝小説の最高傑作。完版(全州),京版(ソウル)の板本のほかに写本も数十種ある。
執筆者:大谷 森繁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
朝鮮の古典小説。パンソリとして愛唱されていた説話を18世紀初め小説化したもの。全羅道南原府使の息子李夢竜(りぼうりょう)は、退妓の娘春香と二世を契る仲となるが、父の転任で仲を裂かれる。後任の府使卞(べん)学道は春香をわがものにしようと迫るが、春香は操を守って拒み続けたため、拷問を受け命も危うい。一方、夢竜は都で科挙に及第、暗行御史(王の特命を受けた隠密検察官)となって南原に赴き、府使を懲らしめて春香を牢から救い出す。2人は幸せな夫婦となる。権力に屈せぬ貞女というこの春香像は、儒教倫理の固守者である支配層からも、官の横暴を嘆く庶民からも喝采(かっさい)を博し、朝鮮の代表的古典となった。この物語の原型としてはさまざまな説話がたどられ、『春香伝』はそれらを総合したものといえる。人気の秘密はここにもあるが、このことは数多くの異本を生み(『烈女春香守節歌』『広寒楼記』など)、漢文体も含めて約90種に上るという。
[田中 明]
『許南麒訳『春香伝』(岩波文庫)』
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