デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「是一」の解説
是一(初代) これかず
近江(おうみ)(滋賀県)石塔(いしどう)からでた石堂一派で,京都から江戸にうつった江戸石堂派のひとり。鎌倉時代の一文字(いちもんじ)風を得意とした。「武蔵大掾(むさしのだいじょう)藤原是一」などと刻銘。慶安-延宝(1648-81)ごろに活躍。姓は川上。初名は是勝。通称は左近。
是一(7代) これかず
出羽(でわ)米沢(山形県)の刀工初代綱俊の子で,是一7代をつぐ。天保(てんぽう)12年伊勢神宮,日光東照宮に奉納する太刀の鍛造を幕府から命じられた。刻銘は「石堂運寿是一精鍛作」など。明治24年11月24日死去。通称は助三郎。号は運寿斎など。
是一(2代) これかず
初代の作風をつぐ。延宝-元禄(げんろく)(1673-1704)のころに活躍し,「武蔵大掾(むさしのだいじょう)是一」などと刻銘。姓は川上。初名は是長。通称は甚平,左近。
是一(8代) これかず
天保(てんぽう)14年生まれ。慶安のころからつづいた是一派の最後の刀工である。明治24年10月29日死去。49歳。名ははじめ綱秀,光一。通称は孝吉。
是一(3代) これかず
享保(きょうほう)6年(1721)幕府のお抱え鍛冶(かじ)となる。刻銘は「石堂左近是一」。宝暦3年9月死去。初名は是三。通称は甚平,左近。
是一(6代) これかず
文化-弘化(こうか)(1804-48)のころに活躍した。嘉永(かえい)3年死去。通称は重次郎。
是一(4代) これかず
宝暦(1751-64)のころに活躍した。通称は門三郎。
是一(5代) これかず
天明(1781-89)のころに活躍した。通称は仙十郎。