旧東海道の有松、鳴海(なるみ)(ともに名古屋市緑区)を中心として行われた木綿(もめん)地の絞り染め。1608年(慶長13)尾張(おわり)藩によって有松村が開発され、最初に移住してきた8人のうちの1人、竹田庄九郎が始祖といわれる。その後、江戸初期に豊後(ぶんご)国(大分県)の三浦玄忠が豊後絞り(今日の三浦絞り)を伝えたという。以来しだいに発達して隣接地の鳴海とともに、有松絞り、鳴海絞りの名で東海道の名物となった。明治以降は京都風の絞り技法を取り入れて絹物も多く取り扱うようになった。今日この地方に伝わる絞り技法はきわめて多く、古今を通じてのあらゆる技法を網羅しているといっても過言ではない。
[神谷栄子]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…一方,江戸初期ころから地方において木綿絞の夜着,ゆかた,手ぬぐい,献上手綱などが生産された。なかでも有松(名古屋市緑区)地方で慶長年間(1596‐1615)に竹田庄九郎がはじめたといわれる有松(ありまつ)絞は,尾張藩の庇護のもとに産業として栄えた。街道筋の鳴海の宿場で売られたので鳴海(なるみ)絞の名で知られ,今日に及んでいる。…
…流行は地方にも波及し,京都の絹布の絞に対して,木綿の絞が出現した。そのなかで最も生産が盛んで広く世に知られたのが,尾州の有松絞であった。有松絞の年譜によれば寛永年間(1624‐44)に紅や紫の色染絞が始められ,延宝年間(1673‐81)には大名絞,杢目絞,手綱絞などの技法を組み合わせた文様絞が考案され,文化年間(1804‐18)には養老絞や筋絞,新しい手綱絞の工夫,1850年(嘉永3)には鈴木金蔵によって養老影絞,竹田利三郎により白影(しらかげ)絞が考案されるなど,めざましい発展を遂げた。…
※「有松絞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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