染色技法の一つ。本来は原始的な染法で,布の一部を結んで染料に浸すと,結んだ部分に染料が浸透せず横段や縞様ができる。布を結ぶので上代人は結帛(ゆいはた)/(ゆはた)と呼んでいたが,奈良時代に大陸から高度な技術が導入され,目交(めゆい),大纈,小纈,夾纈(きようけち),甲(絞)纈などの名称が文献に現れる。目交,大・小纈は鹿の子絞に似たもので,正倉院に伝来する紅色地目交文纐纈(こうけち)はアスターナ古墳出土の紅色絞纈絹と類似するのをはじめ,唐代の絞纈と技法や文様の類似する遺品が正倉院宝物中に見られる。夾纈は模様を彫った型板に布をはさんで染料を注ぐ板締絞である。型板の大きさが限られるため,布を二つまたは四つ折りに畳んではさむので左右相称か,広げると一つの大模様になる図案に限定され,低温で染まりやすい染料と薄物の生地に制約される。正倉院に縹地花樹双鳥文絁(あしぎぬ),鹿草木夾纈屛風,鳥木石夾纈屛風,山水夾纈屛風など,絵画的な図柄を高度な技術によって染めた遺品がある。夾纈は制約が多いうえに熟練した技術を要するので平安後期には廃れ,模様を縫い絞って染める纐纈が多く用いられた。纐纈は女官の裳,壁代,軟障(ぜじよう),狩衣などに用いられ,庶民の衣服には簡易な括染(くくりぞめ)が用いられた。
鎌倉後期から室町時代にかけて,武家の衣生活の向上により染衣服の需要が多くなったことと,商工業の繁栄に伴う商品の開発によって,絞の技法,意匠が急速に発展した。狩衣,水干,帷子(かたびら)に巻染,目結(めゆい),鹿の子結などの絞が用いられ,描き絵や箔押し,刺繡を併用したものが現れる。絞はより精巧な絵模様絞へと発達し,絵模様絞に描き絵を併用することにより辻が花染が生まれた。このように絞を基調として多色の絵模様染へ展開する傾向は,戦国ころ以後,世上一般に小袖形式が広がり需要が多くなるにつれて高まった。絵模様絞は豊臣秀吉所用の桐矢襖模様胴服,徳川家康所用の丁子模様胴服,葵紋蝶模様胴服,葵紋葵葉散模様胴服,葵紋槍梅模様小袖,葵紋菊唐草丸匹田絞小袖などの遺品があり,奇抜な意匠と大胆な配色,精巧な技術が認められる。
江戸初期以降は機業の発達により綸子(りんず),紗綾(さや),ちりめんなど地紋のある生地が流行し,それに伴って絞は色の染め分けに用いられる場合と,染め分けた中に鹿の子や模様を絞る場合と二つの手段に用いられる。模様はいっそう細緻になるが,小袖全体では肩から裾へと広がる大模様となる。たとえば裾から肩へ花をつけた梅樹が大きく広がり,梅花は鹿の子で埋めつくす寛文小袖(かんぶんこそで)の図柄である。また小袖全体を鹿の子で埋める総匹田(そうひつた)絞が流行した。総匹田は生地の布目を斜め45度につまんで小さくくくり,その粒をそろえてすきまなく詰めて染め上げ,絞糸を解くと小さな枡形が斜めに整然と並ぶのである。総匹田は高度な技術と手間のかかる贅沢な絞で1683年(天和3)の奢侈禁令により禁止され,摺(すり)匹田に代わった。江戸前期の絞染は三沢初子所用雪輪模様帯,桜雪笹模様匹田絞小袖,雪輪菊模様小袖など代表的な名品がある。江戸後期以後は友禅染や刺繡を併用するもの,匹田絞を地とし,模様の線を絞り残して模様を表出するものなど,意匠のくふうは見られるが技術的には変わらない。一方,江戸初期ころから地方において木綿絞の夜着,ゆかた,手ぬぐい,献上手綱などが生産された。なかでも有松(名古屋市緑区)地方で慶長年間(1596-1615)に竹田庄九郎がはじめたといわれる有松(ありまつ)絞は,尾張藩の庇護のもとに産業として栄えた。街道筋の鳴海の宿場で売られたので鳴海(なるみ)絞の名で知られ,今日に及んでいる。この絞は近年では京都にも技法が採り入れられ,また京都製品のくくりの下請も行われている。幕末から明治にかけて鹿角(秋田県)の鹿角絞,九州の豊後絞,博多絞,甘木絞,兵庫の姫山絞,新潟の白根絞なども知られた。
絞の工程は,(1)生地に青花汁で下絵を描く。または型摺りする,(2)模様をくくる,(3)温湯に浸して地入れをし,染料に浸染する,(4)水洗,乾燥後糸を解き,湯のしをして仕上げる,といった順序である。絞は現在では縫い絞,筋絞,蜘蛛(くも)絞,巻上げ絞,三浦絞,鹿の子絞(鹿の子),嵐絞,桶絞,板締絞など多種の手法があり,糸でくくったり,竹皮や油紙を用いる場合がある。絞糸は木綿または絹など防水性の高いものを用いる。絞染の加工工程は生地晒,図案,下絵,絞り,染色,糸抜きのそれぞれが分業によって行われている。
→染色
執筆者:伊藤 敏子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
模様染めの一種で、必要な部分の布帛(ふはく)をつまんだり畳んだりしてこれを縛り、縫い締めまたは木片などで挟み締めて、染液がそこへ浸透しないようにして染める方法。「ろう」や糊(のり)などのような付着防染に対して、圧力防染ということができる。染めは原則として浸染であり、一色染めが多いが、一つの色の上に別の色を重ねては、縛りを解いたり加えたり、あるいは部分的に染液に浸(つ)けたり、ときには刷毛(はけ)で塗り染めをしたりして、多色染めをすることも行われる。このように絞り染めの技法は、原則的に非常に素朴なものであるから、古くから世界の各地に広い分布度をもって行われてきた。極言すれば、布そのものを織る技術が発達しなかったオセアニア(メラネシア、ポリネシア、ミクロネシアなど)の島を除いては、ほとんどの地方で行われていたといってよい。そしてその技術は、ある中心地から伝播(でんぱ)していくケースに対し、各地で単独に発生し、発達してきたものも少なくないと思われる。産地のなかで、その技術がとくに古くから発達し、また現在も盛んに行われている所としては、インド、中国、ペルー、インドネシア、アフリカ、日本などをあげることができる。
インドの絞り染めは、古くアジャンタの洞窟(どうくつ)の壁画などにもみられ、現在でもその国内での生産地の多いこと、使用範囲の広さなどでは、世界における絞り染め生産の中心地といえるであろう。生産の中心は中北部ラージャスターンおよびグジャラート州で、技法としては細かい一目絞りと、縫い締め絞りに部分染めによる華やかな色づけをしたものが多いが、なかにラージャスターンのジャイプルを中心とした地方で、ラハリアlahariaといわれる縞(しま)や格子の絞り染めは、薄手の木綿の裂(きれ)を斜めに強く引いて巻き、これに糸をかけて、一見、絞り染めとは思えぬような直線模様を表した、珍しいものである。中国の絞り染めには、古く中央アジアの遺跡などから発掘されたものがあり、日本にも纐纈(こうけち)としてその技術が伝えられたが、その後はあまり目だった発展はみられずに現在に至っている。ペルーのプレ・インカ時代の絞り染めには、強撚糸(きょうねんし)を用いた弾力のある薄手の木綿糸をつまんで絞ったものがあり、また毛織物に絞った多色なものもあるが、現在はあまり行われていない。インドネシアのものでは、スマトラの多色な絞り染めが知られているが、インドのものに酷似しており、同地からの技術の伝播が想像される。アフリカの絞り染めは、現在西アフリカのナイジェリア地方の藍(あい)染めの木綿布の絞り染めが知られており、雄渾(ゆうこん)な渦巻や同心円の括(くく)り絞りのほかに、裂地をいろいろに折り畳んでミシンを用いた縫い絞りは、素朴ななかに力強い迫力をもったものが多い。
日本の絞り染めは、現在、絣(かすり)とともにその技術の豊富さと精緻(せいち)さに関しては、世界にその比をみない。日本の絞り染めのもっとも古い現存資料は、正倉院裂のなかにある数種の纐纈で、括り絞りのほかに簡単な縫い締め絞りもあり、またさまざまに折り畳んだ裂の両面から木片で挟んで染めた板締め風な絞り染めもある。
日本の絞り染めが大きな発展を遂げたのは、平安時代以来の貴族服飾における織物一辺倒の時期が過ぎて、それまで庶民の間に残ってきた素朴な絞り染めが、服飾に対する唯一の模様染めの技術として用いられ始めた室町時代以後のことで、辻が花(つじがはな)染めは、その初期における代表的なものといってよいであろう。辻が花染めが桃山末期に消滅してから、絞り染めは、小袖(こそで)の地の染め分けに用いられたり、刺しゅうとともに、江戸前期から中期初頭ごろまでの小袖染織に多く用いられたが、その後友禅染めが発達するに及んで、絞り染めは、一方に、京都を中心とした精細な匹田(ひった)絞りを主とした高級なものになり、他面、尾張(おわり)の有松(ありまつ)、鳴海(なるみ)地方で地方的な木綿絞りとして発達し、藍染めの浴衣(ゆかた)地として、街道筋で旅人相手に売りさばかれた。そのために、非常に多くの手法も開発され、辻が花染め以来の絞り染めの技術の伝統は、むしろこうしたなかに残されていったといってよい。
技法としては、つまみ絞り系の三浦絞り、らせん絞り、蜘蛛(くも)絞りなどから、縫い締め系の木目絞り、養老絞り、唐松(からまつ)絞り、白影(しらかげ)絞り、板締め風な雪花(せっか)絞りなどがあり、大きな白場(しろば)を残すためには、絞った中に芯(しん)(帽子)を入れて包み込み、または桶(おけ)の中へ染め残す部分を入れて密封し、染める部分だけを外へ出して締め付けて浸染する、桶出しの方法なども行われた。明治以後はこれにさらにくふうが加えられて、動力を用いて糸がけをしたり、太い丸太に生地を巻いて糸をかけ、一端からこれを押し付けてひだを寄せて染める嵐(あらし)絞りや、糸のかわりに竹の輪やゴムなどを用いる方法も現れた。そして京都の絞り染めとの技術的な交流も行われ、日本の絞り染めは空前の大発展を遂げたが、一方、大資本による流通機構の発達とともに、売れるものへの重点指向が強調され、伝統的なりっぱな技術のもののいくつかが、このために次々と廃絶していった。
[山辺知行]
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