本明川(読み)ほんみようがわ

日本歴史地名大系 「本明川」の解説

本明川
ほんみようがわ

多良たら山系五家原ごかはら(一〇五七・三メートル)水源として有明海に注ぐ。一級河川。流路延長二一・一五キロ、流域面積八七平方キロ。赤水あかみず渓谷富川とみがわ渓谷の急勾配を南西に流れ、湯野尾ゆのお川・富川目代めしろ川などを合流して諫早平野を潤し、有明海に注ぐ。寛永(一六二四―四四)末年に大洪水があったとされ、元禄一二年(一六九九)八月一三日の氾濫では溺死者四八七人、洪水に襲われた家臣九七竈、生残りの町人三〇〇竈で、家屋のほか橋梁などの流失があり、地米三千九三〇石余の損米にのぼったという(「諫早日記」など)。これにより諫早市中の中心が移されているが、諫早領主の諫早茂晴はこの弔いのために曹洞宗・浄土宗・浄土真宗の三僧による合同の施餓鬼供養を行い、また上流筋の富川峡谷に五百羅漢磨崖仏を造って供養することを決め、宝永六年(一七〇九)に完成している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「本明川」の意味・わかりやすい解説

本明川 (ほんみょうがわ)

長崎県東部の川。多良岳火山の五家原(ごかばる)岳(1058m)に源を発し,諫早市街地を貫流して有明海に注ぐ。流路延長は約21km,全流域面積87km2。河口付近は干拓による水田地帯である。1957年7月25日,集中豪雨によりはんらんし,濁流河岸の水田や家屋を押し流して諫早市街で多くの人命を奪った。元禄年間(1688-1704)にも大水害の記録があり,上流の富川にある大雄寺の渓谷に沿った岩壁には犠牲者の霊を弔う五百羅漢が刻まれている。
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