大雄寺(読み)だいおうじ

日本歴史地名大系 「大雄寺」の解説

大雄寺
だいおうじ

[現在地名]黒羽町黒羽田町

黒羽城跡の南、那珂川左岸の南北に延びる丘陵上にある。黒羽山久遠院と号し、曹洞宗、本尊は釈迦如来。応永一一年(一四〇四)臨済宗天目山中峰四世劫外久により粟野あわの宿(のち余瀬村)創建され、粟野の地名にちなんで粟山大雄禅寺と称したという。当時の寺地は余瀬の白旗よぜのしらはた城の北にあたる。下総国浄泉じようせん(当初周心院、現千葉県印旛郡酒々井町)所蔵の鋳銅雲版の表面中央陰刻銘には「応永二十二年下野国那須粟山大雄禅寺 乙未十一月 日」とある。

大雄寺
だいおうじ

[現在地名]高山市愛宕町

江名子えなこ川右岸の高台に西面して位置する。東林山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば、もとは吉城よしき上広瀬かみひろせ(現国府町)にあって金沢山大雄寺と号した。西山派の祖証空の開基といわれ、天正一四年(一五八六)金森長近によって現地に移され東林山と改めた(飛騨国中案内)。このときの住持源誉受徳を中興開山とするが、受徳は天正年間天照てんしよう寺の再興も行った。

大雄寺
だいおうじ

[現在地名]志津川町 田尻畑

朝日あさひ館跡の水尻みずしり川対岸にあり、「志津川村安永風土記」は所在地を小名たてしたと記す。松林山と号し、本尊阿弥陀如来、曹洞宗。藤原(元良)高衡により創建され、もと天台宗、中興は朝日館主千葉重次で、その時曹洞宗に改めたと伝える。「封内風土記」は応安年中(一三六八―七五)存的の開山で、登米とめ寺池てらいけ(現登米町)龍源りゆうげん寺末と記す。

大雄寺
だいおうじ

[現在地名]亘理町 泉ヶ入

亘理要害跡の北西背後、北に渓谷、東・西には土塁、南も断崖をなす比高一五メートルの丘陵上にある。寺地は武石亘理氏の居城といわれる小堤こづつみ城跡である。曹洞宗、万松山と号し、本尊は十一面観音。「奥相茶話記」に「亘理の城郭は素禅院にして雄山寺と云今は小堤村妙見山とて霊神垂跡の地築けり城中妙見の神社を安置し奉る千葉大党の末葉にして正月に至りぬれば三ケ日精進潔斎す」とある。この雄山ゆうざん寺がのちの大雄寺である。

大雄寺
だいゆうじ

[現在地名]根室市東梅

風蓮ふうれん湖と温根おんね沼の中間の国道四四号沿いにある浄土宗寺院。山号護念山、本尊阿弥陀如来。明治三一年(一八九八)一月根室常盤ねむろときわ大徳だいとく寺の末寺として創建された。当時周辺に浄土宗寺院がなかったので、明治二六年八月、厚別あつうしべつ幌茂尻ほろもしり穂香ほにおい和田わだ昆布盛こんぶもりの五ヵ村の大徳寺檀家が協議し、一寺院創立を決定、同寺住職桐田達雄に相談し、本尊三体の寄進を得て、同三〇年八月寺号公称を出願、翌年許可された(根室市史)

大雄寺
だいおうじ

[現在地名]飯田市大王路

飯田市街の段丘の北西部にあり、北側を野底のそこ川が流れる。臨済宗妙心寺派、百丈山と号す。本尊十一面観音。

文明一六年(一四八四)、京都妙心寺開山第九世の法孫一渓が開山し、創設の場所は、野底川右岸の破魔射場はまいば(現浜井場)の外であったが、その後現位置に移された。そこで旧跡地を下大雄寺しもだいおうじとよぶ。

第二世の天補は荒蕪の地を開拓し、田畑宅地合わせて四町歩余を有することとなった。

大雄寺
だいおうじ

[現在地名]西郷村田代

中須なかすにある。百丈山と号し、曹洞宗。本尊は延命地蔵。嘉応元年(一一六九)に芳外が創建し、のちに地頭田代太郎が再興、臨済宗雲居庵と号した。その後当地の城主篦々野弾正が本堂を再建したという。天正六年(一五七八)大友宗麟の日向進攻に際して焼失したが、延宝三年(一六七五)延岡台雲だいうん寺四世実堂瑣伝が再建し、この時から現寺号となり、曹洞宗となった(宮崎県史蹟調査)

大雄寺
だいおうじ

[現在地名]今治市室屋町四丁目

百丈山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。

文明年間(一四六九―八七)に長門国大寧たいねい(現山口県長門市)の須益が法界ほうかい(現越智郡玉川町)に建立した。慶長一三年(一六〇八)藤堂高吉が今治入城の時、室屋むろや町に移して父丹羽長秀の菩提寺とした。

大雄寺
だいおうじ

[現在地名]伊達市元町

伊達市街の中央、伊達小学校の南西隣にある曹洞宗寺院。山号は胆振山、本尊は釈迦如来。明治三年(一八七〇)仙台藩亘理伊達家の伊達邦成とその家臣らは有珠うす郡に移住、亘理伊達家の菩提寺である大雄寺(現宮城県亘理町)の住職東流百川も邦成の趣旨を継承し、当地に渡り布教に努めた。

大雄寺
だいゆうじ

[現在地名]上京区三番町

雲竜山と号し、黒谷浄土宗。本尊阿弥陀如来。

慶長八年(一六〇三)心誉の創建になる(蓮門精舎旧詞)。「浄家寺鑑」は弥陀三尊の絵像(恵心作)・釈迦婆伽梵の像(毘首羯摩作)・観音大士尊像(小野篁作)などの霊宝を記すが、天明八年(一七八八)大火正門を除いて全焼、再建された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「大雄寺」の解説

大雄寺

栃木県大田原市にある曹洞宗の寺院。1404年創建。本尊は釈迦如来坐像。本堂、庫裏、禅堂などは、国の重要文化財に指定されている。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

事典・日本の観光資源 「大雄寺」の解説

大雄寺

(栃木県大田原市)
とちぎの景勝100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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