国指定史跡ガイド 「本願寺境内」の解説
ほんがんじけいだい【本願寺境内】
京都府京都市下京区堀川通花屋町下ルにある浄土真宗本願寺派の寺院。所在する位置から西本願寺ともいわれ、お西さんの愛称でも親しまれている。もともとは鎌倉時代の中ごろに浄土真宗を開いた親鸞の鳥辺野の北、大谷に納めた遺骨を移した六角形の大谷廟堂から発展し、本願寺となるが、1465年(寛正6)、8代門主蓮如(れんにょ)のときに堂舎が破壊され、大谷本願寺は終わる。その後、吉崎(福井県)、山科(京都府)と寺は転々とし、1533年(天文2)に10代証如が大坂御坊を本願寺(石山本願寺)とした。11代顕如は織田信長との戦いに敗れ、紀州に退いたが、1591年(天正19)に豊臣秀吉の援助によって寺地が寄進され、大坂から現在の堀川七条に移った。しかし、1602年(慶長7)、徳川家康が顕如の長男である教に烏丸(からすま)七条の寺領を寄進したため、本願寺が東西に分立した。現在地に移転した翌年の1592年(天正20=文禄1)には阿弥陀堂をはじめ諸堂が建造され、翌年(文禄2)には准如が12代となるが、地震や火災によって堂宇が被害を受ける。秀吉の聚楽第(じゅらくだい)から飛雲閣(国宝)が移築され、伏見城から書院、唐門(ともに国宝)などが移されたというが、定かではない。その後、御影堂(ごえいどう)や阿弥陀堂(ともに重文)が再建され、伽藍(がらん)は整備された。親鸞聖人像が安置されている御影堂が、北隣の本堂(阿弥陀堂)よりも大きく造られているのが特徴である。幕末期には京都を守る新選組の本拠地ともなった。1994年(平成6)に国の史跡に指定、同年に「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録された。京都市営地下鉄烏丸線五条駅下車、徒歩約15分。