李悝(読み)りかい(英語表記)Lǐ Kuī

改訂新版 世界大百科事典 「李悝」の意味・わかりやすい解説

李悝 (りかい)
Lǐ Kuī

中国,戦国時代,魏の文侯(前4世紀初め)に仕えた政治家生没年不詳。李克ともいう(別人説もある)。農業生産向上のための〈地力を尽くす〉の政策を文侯に説き,また穀物価格を統制し飢饉に備えるために常平倉先駆のような制度を考案した。さらに諸国の法を整理して《法経》6編を編纂したといわれる。これは秦の商鞅(しようおう)から漢の蕭何(しようか)へと継承される中国法典の原点といえるものであるが,その実在をめぐっては論議が分かれている。《漢書》芸文志に李悝の書として《李子》32巻が見えるが,早く滅んで伝わっていない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「李悝」の意味・わかりやすい解説

李悝
りかい

生没年不詳。中国、戦国時代初期の政治家、法律家。魏(ぎ)の文侯(在位前445~前396)に仕え、その経済政策によって魏国を富強にしたといわれる。まず、「地力を尽くすの教(おしえ)」を唱え、土地の開拓、数種の穀物の同時播種(はしゅ)、空閑地の利用などの方策を実行して農業生産を高めた。また、「平糴(へいてき)法」によって穀物価格の調節を行い、農民とともに都市住民の生活の安定を図った。一方、諸国の法を参照して『法経』六編をつくったとされる。この法は、商鞅(しょうおう)が秦(しん)国に実施して以来、秦、漢二朝に受け継がれ、秦律漢律はそれを基礎に編纂(へんさん)されたものといわれる。なお、孔子弟子の子夏の弟子で、中山国の宰相となった李克(りこく)を同一人物とする説があるが、疑わしい。

[江村治樹 2015年12月14日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李悝」の意味・わかりやすい解説

李悝
りかい
Li Kui; Li K`uei

中国,戦国時代の政治家,法家。李克ともいう。魏の文侯 (在位前 445~396) に仕え,丞相として業績をあげた。豊年には国家が余剰農作物を買入れて穀価の低下を防ぎ,凶作の年にそれを安価で販売させる平糴 (へいてき) 法や,農業生産力の増加をはかった「地力を尽す法」などを行い,魏の富国強兵政策に貢献した。『法経』という法律書を編集したと伝えられる。

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世界大百科事典(旧版)内の李悝の言及

【九章律】より

…中国,漢代の法典。戦国魏の李悝(りかい)の《法経》6編すなわち盗・賊・囚・捕・雑・具の各法は秦に伝わって律に改められ,漢初に蕭何(しようか)が戸・興・厩の三つの律をこれに加えて作ったのが九章律だといわれているが,十分に確かではない。漢代には九章律以外にも律の名でよばれる法規は数多く存在したが,九章律は両漢を通じてもっとも基本的な法典として重視された。…

【春秋戦国時代】より

…これを郡県制とよび,秦・漢以後の地方行政の基本となるものであり,春秋後半には開始される。戦国初期の魏の文侯が政治改革に登用した李悝や西門豹などは官僚の先駆である。この魏の改革の基本は,農民をはじめ国の構成員をすべて一つの法体系のもとに掌握し,個々の人民から直接租税を徴収して国家財政の基礎とし,貴族の政治への介入を排除しようとするものであった。…

【文侯】より

…彼の在位中に魏は趙・韓とともに諸侯に列せられた。みずからは孔子の高弟の子夏に師事し,段干木を賓客とし,また西門豹(せいもんひよう)を鄴(ぎよう)の令に任命して灌漑事業を行わせ,法律家の李悝(りかい)の意見をいれて農業生産力の増強につとめた。一方,軍事面でも呉起や楽羊(がくよう)を将軍に起用して領土拡大をはかるなど,諸国に先がけて富国強兵策を実行し,魏を戦国初期における第一の強国に発展させた。…

※「李悝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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