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常平倉 じょうへいそう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

常平倉
じょうへいそう

(1) 中国において物価調節のために設けられた穀倉。常平の名は漢の五鳳4 (前 54) 年初出するが軍糧の貯蔵にすぎず,豊凶互いに融通する意味の常平倉は,晋の泰始4 (268) 年が初めである。

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デジタル大辞泉の解説

じょうへい‐そう〔ジヤウヘイサウ〕【常平倉】

奈良時代、穀物の価格の変動を防ぐために、穀類を貯蔵した官営の倉。豊年で安価のときに買い入れ、凶年で高価のときに放出して価格の調節を図った。江戸時代にも水戸会津土佐薩摩(さつま)などの諸藩に置かれた。

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百科事典マイペディアの解説

常平倉【じょうへいそう】

中国・朝鮮で物価を調節するために設けられた官営の倉庫。取り扱うのはおもに穀物で,安値のときに買い高値のときに売る。商人はこれによって利益を得,政府は物価の調節を図った。

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世界大百科事典 第2版の解説

じょうへいそう【常平倉 cháng píng cāng】

物価の調節や農民救済のために設けられた官倉。政府資本で穀価の安いときに買い入れて常平倉に貯蔵し,高いときに市価より安く放出して穀価の安定をはかり,あわせて差額を国庫収入とした。
[中国]
 常平倉の名は前漢宣帝のとき(前54年)にみえるが,これは軍糧の貯蔵にすぎない。物価安定策としては西晋(265‐316)に始まり,南北朝・隋・唐を通して置かれているが消長がある。唐代,806年(元和1),常平倉は改組されて常平と義倉,すなわち需給調整と農民の賑済の両機能を果たした。

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大辞林 第三版の解説

じょうへいそう【常平倉】

759年、公廨稲くがいとうの一部を割いて別置して諸国に設けられた倉庫。左右平準署が管轄。米を廉価時に買い入れ、高価時に売り出し、その利を調庸運脚夫の救済にあて、同時に京中の米価調節を図ろうとしたもの。771年廃止。同種のものが、平安時代に常平所として設置され、また江戸時代にも、水戸・会津・鹿児島の諸藩に置かれた。 → 義倉社倉

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

常平倉
じょうへいそう

奈良・平安時代および江戸時代に、主として米の価格を調節するために設けられた備荒貯穀の倉庫。元来は古代中国で発達したもので、豊年で米価が安いときには買い入れて貯蓄し、凶年で米価が高いときにはこれを放出して、人民の生活を安定させるという常平法によって設けられたもの。[平田耿二]

日本

わが国では藤原仲麻呂(なかまろ)政権下の759年(天平宝字3)、諸国の公廨(くがい)(官稲)を割いて設置し、そこから得られる利によって、京で病や飢えに苦しむ運脚(うんきゃく)(調庸(ちょうよう)を都に運ぶ役夫)の食糧を補給した。同時に全国の米価を比較するために中央に平準署(へいじゅんしょ)が設けられたが、早くも771年(宝亀2)に廃止され、常平倉も同じく停廃されたと考えられる。しかし平安時代になると、京の米価調節のために常平所(じょうへいじょ)として、この制度はしばしば再興されたが、実効はあまりなかったようである。のち江戸時代にも、社倉(しゃそう)・義倉(ぎそう)とともに三倉の一つとして、土佐、会津、薩摩(さつま)、水戸、松江の諸藩で行われたが、逆に農民負担の過重により一揆(いっき)の原因ともなった。[平田耿二]

中国

中国で物価調節や農民救済の目的で設けられた官倉。穀物の価格は豊凶によって変動が大きく、農民を苦しめたので、政府資本で穀価の安いときに買い入れて常平倉に貯蔵し、高いときに市価より安く放出し、かつ、その間の差額利潤を図った。常平倉の名は、前漢宣帝の時代にみえるが、物価安定策としては晋(しん)の268年に始まる。以後消長はあるが、南北朝、隋(ずい)、唐と設置された。宋(そう)の1006年、辺境を除く各州県に置かれた。王安石の青苗(せいびょう)法は、常平倉に蓄えられている銭穀を貸付資本に活用したものである。新法廃止後は旧制に戻り、元(げん)、明(みん)にも設置されてはいたが、あまり活用されず、農民救済は義倉、社倉などによった。清(しん)では順治(じゅんち)年間(1644~61)各州県に置かれたが、不正流用が多く、本来の機能は失われた。朝鮮でも高麗(こうらい)の993年に同様の目的で設置されたが、以後、廃置は定まらなかった。[柳田節子]

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世界大百科事典内の常平倉の言及

【囲米】より

…このほか米価対策として行われた囲米として,(1)幕領年貢収納量がピークに達した宝暦年間(1751‐64)に,諸大名にたいし1万石につき籾1000俵の囲置きを命じた例,(2)寛政(1789‐1801)初年に幕領農村に郷倉を設置したり,江戸・大坂に籾蔵を建てるなどして,農民・町人に貯籾を命じ,凶作時の夫食(ぶじき)・救米の備えとした例,(3)低米価に悩んだ文化年間(1804‐18)に,大坂の豪商に囲米を命じ米価引上げを図った例などがある。また備荒貯穀として独自な囲米制度を採用している藩も多く,水戸藩の常平倉,会津藩の社倉,米沢藩の義倉などは著名である。【大口 勇次郎】。…

【飢饉】より

…そのために平常からの備荒貯蓄が必要であった。各国にあって備荒のみを目的とする貯穀としては,大宝令によって,戸の貧富に応じてアワなどの穀物を規定量徴収するように定められた義倉や,759年(天平宝字3)諸国の運脚(調・庸を都まで徒歩で運ぶ人夫)の飢えをいやすために諸国に設置された常平倉(じようへいそう)の制などがあったが,その機能する範囲は小さく,むしろ各国の財源たる正税の方が一般的に機能した。正税を蓄える正倉には,平常の公出挙などに用いる動倉と非常用の不動倉があり,後者は国郡司が被害実態を申告して,太政官の命によって開く定めであった。…

【平準署】より

…奈良時代に諸国の常平倉(じようへいそう)を管理するために中央に置かれた物価を調節する役所。常平倉は豊年や秋期の米価の安い時期に購入して蓄え,米価が高騰すると市価より安く放出して米価を安定させ,得られた利潤で京より帰る運脚夫の飢えを救うために設けられた。…

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