貞観の治(読み)ジョウガンノチ

デジタル大辞泉 「貞観の治」の意味・読み・例文・類語

じょうがん‐の‐ち〔ヂヤウグワン‐〕【貞観の治】

中国、太宗の治世。賢臣・名将に補佐され、官制の整備、領土の拡大、学芸の奨励により、国力を充実させた。

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精選版 日本国語大辞典 「貞観の治」の意味・読み・例文・類語

じょうがん【貞観】 の 治(ち)

  1. 太宗が賢相、名将を用い、唐王朝の基礎を築く、太平な治を行なったので、それを年号にちなんでいう。
  2. 清和天皇の治世をいう。応天門の変、藤原良房の摂政就任など、平安中期の藤原時代がようやく確立されかけた時代。密教芸術が盛行

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改訂新版 世界大百科事典 「貞観の治」の意味・わかりやすい解説

貞観の治 (じょうがんのち)

中国,唐の太宗の年号を貞観(627-649)といい,この時代天下がよく治まったためこのようにいう。唐の第2代太宗朝には,隋末の内乱が終息して国内が安定し,対外的にも周辺民族がすべて服属して空前の平和が訪れた。律令の整備,正史の修撰,《五経正義》の編纂など輝かしい文化事業が行われたが,それらにもまして時代を特色づけるのは,君臣一致して政治の理想を追求したことである。太宗のもとには房玄齢杜如晦らの名相,李靖李勣(りせき)らの良将その他幾多の人材があり,太宗はこれら群臣とおりにふれて政治の得失を論じた。その基本は君臣それぞれが公人としての立場を貫いて政権の公的性格を徹底させることにあり,そのためには諫言をたてまつりまた納めることが重視された。この原則を最も強く主張したのが魏徴である。貞観時代は失政もあったが大局的には理想主義の生きた時代で,後世の模範となり,日本の清和天皇の年号(859-877)もこれにならっている。当時の君臣間の政治論は,呉兢《貞観政要》にまとめられている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「貞観の治」の意味・わかりやすい解説

貞観の治
じょうがんのち

中国、唐第2代皇帝太宗李世民(りせいみん)の治世。貞観は年号(627~649)。隋(ずい)末以来の農民反乱多発群雄割拠の状態は初唐の国内を疲弊させた。太宗は即位すると、賢臣を抜擢(ばってき)して彼らの諫言(かんげん)を入れ、つとめて民力の回復を図った。その結果、唐の国礎は固まり、米価は下がり、人々は戸締まりをせず、旅行にも食料を携行しない、という平和な状態が現出した、という。また四方の異民族も帰服し、太宗に天可汗(てんかかん)の称号を奉った。以後、太宗の治世を貞観の治とよび、太平の世の模範とした。ただし、太宗に失政がないわけでもなく、また唐代の記録は太宗の事績を美化しすぎているともいわれる。

[金子修一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「貞観の治」の意味・わかりやすい解説

貞観の治
じょうがんのち
Zhen-guan zhi zhi; Chên-kuan chih chih

中国,唐の第2代皇帝太宗の治世。当時の年号貞観 (627~649) にちなむ呼称で,中国史上最も名高い盛代。この頃隋末の全国的動乱と人民の疲弊から立直り中央集権が強化され唐の国礎は確立した。律令体制の整備につれて学校,科挙も発達し,『五経正義』の欽定をはじめ文化事業も推進された。房玄齢杜如晦魏徴らの名臣がよく内に文治を助け,外は名将李靖らの活躍で突厥,吐蕃などを制圧し,国威を広く輝かした。

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百科事典マイペディア 「貞観の治」の意味・わかりやすい解説

貞観の治【じょうがんのち】

中国,唐の太宗の貞観年間(627年―649年)の治世。父高祖を助けて天下を統一し,即位後は名臣・名将を登用して諸制度を確立。国内の平和と繁栄,文化発展の基礎を置く。突厥(とっくつ)を破って国威を発揚し,治世の鑑(かがみ)といわれた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「貞観の治」の解説

貞観の治(じょうがんのち)

貞観は唐の太宗の時代の年号(627~649年)。太宗が名相房玄齢(ぼうげんれい),杜如晦(とじょかい),名将李靖(りせい),李勣(りせき),諫臣魏徴(ぎちょう),王珪(おうけい)らを用いて治績をあげたことは『貞観政要』によって後世に伝えられ,理想的な時代とされる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「貞観の治」の解説

貞観の治
じょうがんのち

唐の第2代皇帝太宗(李世民)の治世
貞観は唐の太宗の年号(627〜649)。太宗が唐朝の基礎を確立し,繁栄と平和の時代を開いたのでこう呼ばれる。李世民は父高祖(李淵 (りえん) )を助けて天下を統一。広く人材を集め,名宰相に房玄齢 (ぼうげんれい) らがある。内政では律令を定めて文物を興し,外政では突厥 (とつけつ) を討って領土を広げ,国威をあげた。

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世界大百科事典(旧版)内の貞観の治の言及

【杜如晦】より

…唐初に秦王府参軍として太子李世民の幕下に入り,房玄齢の推挙で重用され,〈秦王十八学士〉の筆頭におかれた。李世民が即位して太宗となるや,尚書右僕射に任ぜられ,左僕射の房玄齢らと協力して〈貞観の治〉といわれる政治安定期を現出させた。房玄齢の深謀に対し,杜如晦は決断で知られ,唐の名相といえばつねに房杜と並称された。…

【房玄齢】より

…隋末の混乱期に李世民の幕下に入り,杜如晦(とじよかい)ともども〈秦王十八学士〉の筆頭におかれた。李世民が即位して太宗となるや,相位にあること15年,〈貞観の治〉とよぶ黄金時代を現出させた。大敗に終わった太宗の高句麗遠征には激しく反対した。…

※「貞観の治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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