東ティモール(読み)ひがしティモール(英語表記)East Timor

翻訳|East Timor

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東ティモール
ひがしティモール
East Timor

正式名称 東ティモール民主共和国 República Democrática de Timor-Leste。
面積 1万4919km2
人口 109万2000(2011推定)。
首都 ディリ

ティモール島の東半分と沖合に浮かぶアタウロ(カンビン)島,ジャコ島,およびティモール島北西岸のパンテマカッサルを中心とする飛び地アンベノ地区で構成される国。南東はティモール海,北はウェタル海峡,北西はオンバイ海峡,南西は西ティモール(インドネシアのヌサトゥンガラティムール州)に接する。起伏の激しい地形で,タタマイラウ山(2963m)がそびえる。気候は乾燥した熱帯性気候で,降雨量は中程度。山岳地帯はビャクダン(白檀)の木に覆われ,低地は低木や草が茂り,ココヤシやユーカリの木も生育する。温泉も湧出し,山を水源とする河川が数多く流れている。有袋動物の一種であるクスクスのほか,サル,シカ,オオジャコウネコ,ヘビ,ワニなどの野生生物が生息している。住民の大部分はメラネシア系。ほかにもマレー系,ポリネシア系,中国系がいる。キリスト教徒が大半を占める。方言も含め約 40の言語が使用され,その代表的なものはテトゥン語である。ポルトガル人が最初にティモール島に居住したのは 1520年,その 2年後にスペイン人が入植した。1613年にオランダが島の西半分を占領。1812年から 1815年にかけてイギリスの統治下に置かれた。その後オランダとポルトガルの間で領有権争いが起こったが,1860年と 1893年の条約で東ティモールはポルトガルの領地になることが決まった。だが,1893年の条約が効力を生じるようになったのは 1914年になってからであった。第2次世界大戦中は日本軍の占領下に置かれた。その後,飛び地アンベノを含む東ティモールは再びポルトガル領となったが,1975年独立派の有力政党である東ティモール独立革命戦線 FRETILINが領地の大部分を支配下に置き,11月に東ティモール民主共和国の独立を宣言。これを認めないインドネシアは 12月に武力侵攻し,1976年東ティモールをティモールティムール州として併合した。インドネシアとの 20年以上にわたる戦闘や飢餓,病気で,一説には 20万に上る住民が死亡したといわれた。特に 1991年にディリで起こったインドネシア軍と東ティモール住民の衝突事件は広く報じられ,国際的な関心を呼んだ。国際社会の非難の高まりを受け,インドネシア政府は東ティモールの独立の是非を問う住民投票を行なうことを認め,1999年8月に実施。その結果,有権者のほぼ 5分の4が独立を支持したため,インドネシアの国民協議会は東ティモール併合決議を破棄することを決定した。約 2年半の国際連合による暫定統治を経て,2002年5月20日,独立指導者のジョゼ・A.グスマンを初代大統領とする東ティモール民主共和国が誕生した。経済の中心は農業で,主要作物はコプラ,コーヒー,綿,米,コムギ,タバコ,羊毛,ジャガイモトウモロコシなど。石鹸,香水,加工食品,化学薬品,機械製品なども生産され,コーヒー豆の加工も行なわれる。工芸品としては陶器,木彫,象牙彫などがある。北東岸に平行して道路が走り,マウバラ,マナトゥト,トゥトゥアラ,ディリといった都市を結んでいる。飛び地アンベノには貴重なビャクダンやココヤシの林があり,米が栽培されている。中心都市パンテマカッサルには港と空港がある。沖に浮かぶ丘陵状の島アタウロ島ではおもに漁業が営まれ,空港も設置されている。通貨は米ドル。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

東ティモール

ポルトガルや日本、インドネシアの支配を受け、2002年に独立。首都圏4都県とほぼ同じ約1万5千平方キロに121万人が住む。農業が主産業で、コメやトウモロコシ、イモ、ココナツなどを栽培。最近は輸出用としてコーヒー栽培に力を入れている。

(2016-06-09 朝日新聞 朝刊 栃木全県・1地方)

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デジタル大辞泉の解説

ひがしティモール【東ティモール】

East Timor》東南アジア、小スンダ列島東端のティモール島東半分を占める国。正称、東ティモール民主共和国。首都ディリ。16世紀以降ポルトガル領。1949年にインドネシアがオランダから独立し同島西半がインドネシア領になっても、東半ではポルトガル支配が続いた。1975年東ティモール独立革命戦線(フレティリン)が独立を宣言したが、インドネシアが軍事侵攻。独立闘争の末、2002年に正式に独立。自給的農業のほか目立った産業に乏しい。人口115万(2010)。東チモール

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百科事典マイペディアの解説

東ティモール【ひがしティモール】

◎正式名称−東ティモール民主共和国Democratic Republic of Timor-Leste。◎面積−1万4954km2。◎人口−106万7000人(2010)。◎首都−ディリDili(19万人,2010)。◎住民−メラネシア系(テトゥン人など)が大部分。ほかにマレー系,華人など。◎宗教−カトリック約90%,ほかにプロテスタント,イスラム。◎言語−テトゥン語とポルトガル語が公用語。ほかにインドネシア語,英語など。◎通貨−米ドル。◎元首−大統領,タウル・マタン・ルアクTaur Matan Ruak(2012年5月就任,任期5年)。◎首相−アラウジョRui Maria de Araujo(2015年2月発足)。◎憲法−2002年3月採択。◎国会−一院制(定員65,任期5年)。2012年7月選挙結果,再建国民会議30,フレテリン25,民主党8など。◎GDP−5億ドル(2008)。◎1人当りGNP−316.7ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−不詳。◎平均寿命−男66.0歳,女69.1歳(2013)。◎乳児死亡率−46‰(2010)。◎識字率−不詳。    *    *マレー諸島南東部,ティモール島の東半分を占める国。東チモールとも。丘陵性山地や草原が多い。コーヒー,ゴム,コプラなどが栽培される。1859年,1893年,1904年の条約でポルトガルとオランダがティモール島を分割して以来,ポルトガル領とされた。太平洋戦争中に日本軍が一時占領。1974年のポルトガル本国での民主化クーデタ以後,東ティモール独立革命戦線(通称フレテリン)を中心に独立運動が起こった。インドネシアはこれに介入,親インドネシアの東ティモール臨時政府が樹立され,1976年にインドネシアに合併,全ティモール島が東ティモール州としてインドネシア領とされた。ポルトガルと国連はこれを認めず,1982年まで毎年撤退要求を行ったが,インドネシアはこれを内政問題として実効支配を続け,政府によるインドネシア化政策や,軍による弾圧,人権侵害は住民の不満を招いていた。1991年11月,インドネシア軍による住民への発砲事件(ディリ事件)では多くの死者が出たため,オランダをはじめ各国から人権抑圧が厳しく批判された(フレテリンの指導者の一人ラモス・ホルタとカトリック教会のベロ司教は,東ティモール紛争の平和的解決を追求してきたとして1996年のノーベル平和賞を受賞)。インドネシアのスハルト政権に代わったハビビ政権は1999年1月,東ティモールの分離独立容認を決定,同年8月の国連管理下での住民投票では8割近い住民が自治案を拒否した。しかし,独立を否定する残留派民兵の抵抗が強く,同年9月に派遣された国連の多国籍軍のもとで治安回復が図られ,国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)が設立された。2001年8月憲法制定議会選挙を実施,2002年3月憲法が公布された。同年4月大統領選挙でグスマンが当選,5月インドネシアから独立した。同年9月国連に加盟。なお,ティモール海のオーストラリアとの海底境界は一部未画定であり,画定までの間,共同石油開発地域が設けられている。
→関連項目アジアインドネシア東南アジア

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