東京の合唱(読み)とうきょうのがっしょう

改訂新版 世界大百科事典 「東京の合唱」の意味・わかりやすい解説

東京の合唱 (とうきょうのがっしょう)

小津安二郎監督の1931年松竹蒲田作品。無声,白黒スタンダード。脚本野田高梧撮影と編集は茂原英朗という常連スタッフ。子どもっぽい正義感から失職したサラリーマン(岡田時彦)が妻(八雲恵美子)と2人の子どもをかかえて苦労するさまを描いた。〈小市民映画〉の最初の成功作で,冒頭に田舎で過ごした中学時代の挿話を置き,その時の教師(斎藤達雄)が東京でカレーライス屋を開いていて,主人公一家の窮状を救うという構成は,同級生の交歓(このカレー屋で先生を囲んでクラス会が開かれる)という主題とともに,中期小津作品が完成に近づいたことを示している。娘(子役時代の高峰秀子)の入院という悲痛な場面と,彼女の口の中から丸薬を戻してのみこんでしまう兄(菅原秀雄)といった爆笑ギャグの取合せが,小津独特の魅惑的な語り口となっており,翌年の傑作《生れてはみたけれど》を予告するすべての要素が出そろった記念すべき佳作といえる。郊外の新興住宅地のロケーションもすばらしい。初めて《キネマ旬報》のベストテン第3位に入った前年の《お嬢さん》(1930)に次いで,これも第3位に,そして翌年の《生れてはみたけれど》では1位に入り,このころから小津は〈ベストテン監督〉の名をほしいままにするようになり,松竹の看板監督になっていく。
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デジタル大辞泉プラス 「東京の合唱」の解説

東京の合唱

1931年公開の日本映画。監督:小津安二郎、原作北村小松、脚本:野田高梧、撮影:茂原英雄。出演:岡田時彦、八雲恵美子、斎藤達雄、飯田蝶子ほか。ヒューマンドラマ。

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世界大百科事典(旧版)内の東京の合唱の言及

【小津安二郎】より

…しかし一流スターやスタッフを使うことができず,大学生の風俗をユーモラスに描くのを得意としたが,同世代の俳優斎藤達雄や岡田時彦を得て野心作《美人哀愁》(1931)を発表,カメラの茂原英雄とともに独自の映像を確立。《東京の合唱》(1931)や《生れてはみたけれど》(1932)などのサラリーマン生活の悲哀を描いた作品で高く評価される。E.ルビッチをはじめとするアメリカの作家たちへの偏愛は,《その夜の妻》(1930)や《非常線の女》(1932)のごとき無国籍的犯罪映画の佳作を生んだが,坂本武を主演に迎えた《出来ごころ》(1933)の成功で,庶民的な哀感の世界を描いた〈喜八物〉に転じ,《浮草物語》(1934)や《東京の宿》(1935)を発表。…

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