讒謗律(読み)ザンボウリツ

デジタル大辞泉 「讒謗律」の意味・読み・例文・類語

ざんぼう‐りつ〔ザンバウ‐〕【××謗律】

明治8年(1875)明治政府によって公布された言論統制令。自由民権運動の隆盛に伴う政府批判を規制するため、人を誹謗ひぼうする文書類を取り締まった。

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精選版 日本国語大辞典 「讒謗律」の意味・読み・例文・類語

ざんぼう‐りつザンバウ‥【讒謗律】

  1. 〘 名詞 〙 明治初期の言論取締令。明治八年(一八七五新聞紙条例とともに公布され、反政府的言論を取り締まった法律。同一三年刑法布告により廃止。〔太政官布告第一一〇号‐明治八年(1875)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「讒謗律」の意味・わかりやすい解説

讒謗律 (ざんぼうりつ)

日本最初の名誉保護に関する法律。太政官布告第110号,1875年6月28日公布。全8条。〈讒謗〉とは,名誉毀損きそん)を意味する〈讒毀〉と侮辱を意味する〈誹謗(ひぼう)〉をまとめた言葉(1条)。近代国家には個人の名誉保護の立法が必要だとした小野梓らのイギリス法研究グループ〈共存同衆〉の提出した建議を受けて,制定されたものとされる。しかし讒謗律には天皇(2条),皇族(3条),官吏(4条)に対する讒謗罪がまず規定され,次いで5条で一般私人に対する讒謗罪が規定されているものの刑罰は前3者より軽微となっていた。のみならず実際には,このころに急増した新聞の官吏批判を取り締まるために,讒謗罪を規定した4条が発動された事例が少なくなく,しばしば讒謗律と同時に公布された新聞紙条例と対(つい)の,新聞弾圧法とみなされた。80年7月17日旧刑法の制定公布と同時に,同法に吸収(誹毀罪,旧刑法358~359条),廃止された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「讒謗律」の意味・わかりやすい解説

讒謗律
ざんぼうりつ

1875年(明治8)6月28日に布告されたわが国最初の独立名誉毀損(きそん)法。全文8条からなり、乗輿(じょうよ)(天皇の乗り物、転じて天皇)、皇族、官吏(の職務)、華士族平民とそれぞれ対象になる人格によって刑の軽重前記順序)があった。だがこの罪は「著作文書若(もし)クハ画図肖像ヲ用ヒ展観シ若クハ発売シ若クハ貼示(ちょうじ)シテ人ヲ讒毀シ若クハ誹謗(ひぼう)スル者」(1条)に限られているところから、この布告は、同日に布告された新聞紙条例と並ぶ出版弾圧法であることは明らかで、事実、これ以後、政府の施策を批判した記事は、この讒謗律によって筆者が処罰されることになり、記者の恐怖時代を現出する。80年7月17日に(旧)刑法が布告されると同時に廃止された。

[春原昭彦]

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百科事典マイペディア 「讒謗律」の意味・わかりやすい解説

讒謗律【ざんぼうりつ】

太政官布告として1875年公布された,言論・出版を取り締まる法令自由民権運動を抑圧するため新聞紙条例とともに制定された。言論・文書・図画などで事実の有無を問わず他人の名誉を害するようなことを公表したり,事実をあげずに悪名を流したりすることを取り締まった。現行刑法の名誉毀損(きそん)罪原型をなす。1880年廃止。
→関連項目出版条例東京曙新聞明六社

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「讒謗律」の意味・わかりやすい解説

讒謗律
ざんぼうりつ

明治8年太政官布告 110号。現行刑法の名誉毀損罪の原型をなす明治初年の法律。 1875年6月 28日制定。人の栄誉を害する行為を讒毀 (ざんき) ,人の悪名を公布する行為を誹謗 (ひぼう) といい,著作,文書,画面,肖像を用い,展観,発売,貼示してこの行為を行う者を,その対象 (天皇,皇族,官吏,華士族平民の4つ) に従って,禁獄,罰金の刑に処するもの。同年制定された新聞紙条例とともに自由民権運動に対する言論弾圧をはかったものである。演説・集会の取締りに拡大適用されたこともあるが,明文規定を欠くため 80年別に集会条例が制定されることになった。 82年旧刑法の施行とともに讒謗律は廃止された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「讒謗律」の解説

讒謗律
ざんぼうりつ

言論を規制した明治初期の法令。1875年(明治8)6月28日公布。全8カ条。人を讒毀(ざんき)(名誉毀損)・誹謗(ひぼう)(事実をあげず公然と悪名を広める)する著作・文書・画などを発売した者を処罰するもので,天皇・皇族・官吏・一般人を讒謗した者に対する刑罰(最高刑は禁獄3年)がそれぞれ定められた。小野梓(あずさ)らの名誉保護立法の建白がとりいれられて制定されたといわれるが,同時に制定された新聞紙条例とともに自由民権派や不平士族の政府攻撃の言論を取り締まる法令となった。82年1月1日の刑法施行とともに廃止。

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旺文社日本史事典 三訂版 「讒謗律」の解説

讒謗律
ざんぼうりつ

1875(明治8)年に制定された明治政府の言論弾圧のための法律
全8カ条。民撰議院設立建白に始まる自由民権運動の高まりの対策として,井上毅 (こわし) らが作成・公布した。事実の有無を問わず,人を讒毀 (ざんき) ・誹謗する者を処罰する法で,政府を批判することが讒謗(悪口)として投獄・罰金処分の対象とされた。同時に制定された新聞紙条例とともに,藩閥専制政治の維持と自由民権運動の圧迫のために利用された。

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