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東方会議 とうほうかいぎ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東方会議
とうほうかいぎ

(1) 1921年5月 16~17日,首相原敬によって開かれた会議。閣僚,斎藤実朝鮮総督山県伊三郎関東庁長官,小幡酉吉駐華公使らが出席。山東撤兵,シベリア撤兵問題,張作霖の限定的援助 (同 17日の閣議決定) などが協議された。

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デジタル大辞泉の解説

とうほう‐かいぎ〔トウハウクワイギ〕【東方会議】

大正10年(1921)原敬首相が山東・シベリア撤兵問題を協議するために開いた会議。
昭和2年(1927)田中義一首相兼外相が、満蒙への積極的介入方針と対中国基本政策を決定するために開いた会議。→田中メモランダム

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百科事典マイペディアの解説

東方会議【とうほうかいぎ】

1927年6月27日〜7月7日,田中義一内閣山東出兵後の対中国基本政策決定のために開催した会議。田中兼任外相,森恪(つとむ)次官が推進。国民党支持,共産党鎮圧を図り,中国本土での居留民現地保護主義と満蒙積極介入の対中国政策綱領を発表。

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世界大百科事典 第2版の解説

とうほうかいぎ【東方会議】

(1)第1次 原敬内閣が1921年5月16~25日に開催した対中国・シベリア政策に関する会議。閣僚,朝鮮総督斎藤実(まこと),関東長官山県伊三郎,関東軍司令官河合操,中国駐在公使小幡酉吉(おばたゆうきち)らが参集した。満蒙は国防上,経済的生存上重要な関係を有するとの見解から,満蒙地域に日本の勢力を扶植することが満蒙政策の根幹であるとの方針を確認し,満蒙における日本の位置を確実にするため,張作霖を援助する政策,シベリア撤兵問題,山東問題等について決定がなされた。

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大辞林 第三版の解説

とうほうかいぎ【東方会議】

1921年(大正10)原内閣が山東・シベリア撤兵問題を協議した会議。
1927年(昭和2)6月、田中内閣が対中国強硬策を決定した会議。森恪もりかく外務政務次官が実質的に主宰。最終日に発表された対支政策綱領では、居留民の現地保護方針と満蒙に対する積極介入がうたわれ、以後の対中国侵略政策の基礎を築いた。 → 田中メモランダム

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東方会議
とうほうかいぎ

田中義一(ぎいち)内閣が1927年(昭和2)6月27日~7月7日に開催した対中国政策に関する会議。田中兼任外相ら閣僚、中国関係外交官、関東軍司令官ら陸海軍関係者が参集した。関東軍や外務政務次官森恪(もりかく)らは張作霖(ちょうさくりん)を下野させ、満蒙(まんもう)を中国本部から分離することを構想したが、田中らは張を擁立して満蒙を支配する考えであった。最終日に発表された「対支政策綱領」はこれらの考えを折衷したもので、満蒙における特殊権益の防護と治安維持の覚悟を表明するとともに、中国本部における居留民の現地保護方針をうたった。田中内閣が対中国「積極」外交の方針を確立したものとして内外の注目を集め、事実、その後の第二次山東(さんとう)出兵などの強硬策を導いた。なお原敬(はらたかし)内閣が1921年(大正10)5月に開催した対中国・シベリア政策に関する会議も東方会議とよばれる。[江口圭一]

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