コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

東方見聞録 とうほうけんぶんろく

7件 の用語解説(東方見聞録の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東方見聞録
とうほうけんぶんろく

イタリア人マルコ・ポーロが,1271~95年の小アジアから中国にいたる内陸アジア,中国の各地方,および華南から海路ペルシア湾にいたる彼の旅行の見聞を口述してルスティケッロ・ダ・ピサが記した書物。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

とうほうけんぶんろく〔トウハウケンブンロク〕【東方見聞録】

マルコ=ポーロの旅行記。1271年から1295年にかけての中央アジア・中国への旅行の体験談を、物語作者ルスティケロが筆録したもの。日本を黄金の国ジパングとして紹介。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

東方見聞録【とうほうけんぶんろく】

マルコ・ポーロが1271年―1295年,東方諸国で見聞したことを,1298年―1299年にジェノバの獄中で同囚ルスティケッロに口述筆記させたとされる旅行記。特に代の中国について詳しく,日本もジパングの名で初めてヨーロッパに紹介された。
→関連項目紀行文学ユール

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル大辞泉プラスの解説

東方見聞録

株式会社三光マーケティングフーズが展開する居酒屋チェーン

出典|小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

とうほうけんぶんろく【東方見聞録】

マルコ・ポーロが1270‐95年にわたる東方旅行でえた知識を記憶とメモによって口述し,これをピサの物語作者ルスチケロが記録したもの。その内容は,序章でこの旅行が敢行された経緯,中国に至って元朝に仕えた模様およびイル・ハーン国使臣に同伴して帰国するにいたった事情を略述し,続く本文では西・中央アジアを横断する行程の子細,モンゴル朝廷の諸事情,中国国内旅行でえた見聞および帰路の航海で経過した南海諸国の実況を報告する。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

とうほうけんぶんろく【東方見聞録】

マルコ=ポーロの旅行記。1271~95年の東方旅行の見聞をルスティケロが筆録したもの。日本を黄金の国ジパングとしてヨーロッパに紹介。1299年完成。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東方見聞録
とうほうけんぶんろく

イタリア、ベネチアの商人マルコ・ポーロの行った東方旅行(1271~95)の体験談を、物語作者ルスティケロが記録した旅行記。正式の名前は『世界の叙述』Description of the world。マルコポーロは、小アジア、イランパミール東トルキスタン、甘粛(かんしゅく)、長安(西安)を経て中国北辺を横断し、上都(じょうと)(内モンゴル自治区)でフビライ・ハンに会って、そのまま元朝に仕えた。その後、河北、陝西(せんせい)、四川(しせん)から雲南へ、さらに山東、浙江(せっこう)、福建へと、広く中国各地を旅行し、福建のザイトン(泉州)からインドシナ、ジャワ、マレー、セイロン(スリランカ)、インドのマラバルなどを経由して、ペルシア湾のホルムズに達した。旅行地域の風俗、慣習のほかに、中国人の記録にはみられない元朝の宮廷内の事情が記されており、また、日本を黄金の国としてチパングChipanguの名で初めてヨーロッパに紹介した。その内容があまりにももの珍しいため、初めは信じられなかったが、そののち、多くのヨーロッパ人がアジアへ旅行するにつれて、この書の記事の正確さが知られるに至った。これはコロンブスのアメリカ発見の機縁となり、またヘディンやスタインは、その中央アジア探検に、この書を座右から離したことがなかった。ルスティケロの原本は早く散逸したが、それを基にして潤色、加筆、または削除した多くのテキストができ、そののち幾多の変遷を経て、今日の諸テキストが伝来した。これらの異本は、ムールとペリオとの共編によって校合(きょうごう)のうえ出版されている。[護 雅夫]
『愛宕松男訳・注『東方見聞録』全二冊(平凡社・東洋文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の東方見聞録の言及

【大航海時代】より

… この時期には大航海を支える科学技術の分野でも大きな発展があった。マルコ・ポーロの《東方見聞録》を典拠とする東方に関する知識はすでに1385年に描かれたカタロニア地図に取り入れられ,また航海用のポルトラノ図作成の技法も発達していた。また船も帆装や船体の構造に北欧型と地中海型との総合が生じ,カラック,カラベルが造られた。…

【ポーロ】より

… 帰国後ほどなき98年,貿易上の競合関係にあったベネチアとジェノバの間に戦端が開かれるや,マルコは従軍してガレー船艦長の指揮顧問官となったが,クルゾラ沖の海戦に敗れてジェノバの獄につながれた。この間,同室の囚人ピサの物語作者ルスチケロに旅行内容を口述したのが《マルコ・ポーロ旅行記》(《東方見聞録》)の祖本である。彼の旅行は球体としての地球世界がまだ認知されていない中世人の平面的東西世界を,北回りの陸路と南回りの海路で周回した最初の体験であるとともに,その体験を記録に残したという点で,とくに重要な意味をもつ。…

【旅行記】より

…またチンギス・ハーンが版図を拡大したのち,ローマ教皇は使節を送って交流を図ったが,このようにして伝えられた東方のうわさに好奇心を刺激されたマルコ・ポーロが,20余年の旅を終えて1295年にベネチアに戻ってきた。彼が口述した《東方見聞録》は,まさに〈旅行者の話〉の典型であったかもしれないが,それ以後幾世紀にもわたって,ヨーロッパ人のアジアについての知識の重要な源泉であった。
[ルネサンス以後]
 いわゆる大航海時代の到来によって,ヨーロッパ人が足跡をアメリカ大陸,喜望峰を巡ってインドに印するようになると,当然のことながらその記録が公にされる。…

※「東方見聞録」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

東方見聞録の関連キーワードポータルマルコ・ポーロ手に渡るマルコポーロwebポータルマルチアングル梨花 王城に舞う マルコポーロ秘話ウェブポータル

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

東方見聞録の関連情報