改訂新版 世界大百科事典 「ユール」の意味・わかりやすい解説
ユール
jul
古代北欧の祝祭。古語ではjól。古英語geolやゴート語fruma-jiuleis(〈11月〉)の対応語の存在から,広く古代ゲルマン人全般にあったと考えられるが,その実体は不明。スウェーデン人学者セランデルH.Celanderによれば,ユールはキリスト教定着以前の北欧では個々の家庭,血族集団がかかわる収穫祭,豊穣祭の性格をもつ私的祭儀であった。祝祭は,干し草作りや放牧家畜の囲込みなど,収穫作業を完了したあと,そして冬至の前の時期,すなわち中世北欧の暦法で〈ユーリルýlir〉と呼ばれた第2冬月(太陽暦の10月中旬から11月中旬まで)に,とくに雄豚を供犠したあと食べ,ビールを飲むなどの共同会食を伴った宴として催され,その意図は豊穣神への感謝と祈願,血族構成員間のきずなの強化であったろう。雄豚は古代北欧人の代表的な豊穣神フレイの聖獣である。なお,ユールの語はのちにキリスト教のクリスマスを指すようになり,また豚肉(ハム)は今日でも北欧のクリスマスには欠かせない食物である。
執筆者:菅原 邦城
ユール
Henry Yule
生没年:1820-89
イギリスの歴史地理学者。スコットランド生れ。父ウィリアムはインドで活躍した軍人で,アラビア語,ペルシア語写本の収集家として名高い。彼も20歳のとき軍人としてインドへ渡り,1862年に退職。64年より,夫人の病気療養と研究のため,シチリア島のパレルモに住んで著述に専念。75年,夫人の死去を期に帰英し,以来インド省に勤務した。中国に関する西方の記録を深く研究し,とくに,《東方見聞録》の英語による訳注本である《マルコ・ポーロの書》(1871。増補版1875)は学界に大きな影響を与えた。また,《シナとそこに至る道》(1866)も名著として知られている。両書には,フランスのコルディエの手になる補訂版がある。晩年,功によりサーSirに叙された。
執筆者:堀川 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報