1958年に初めて中国で行われてから世界の注目を集めた麻酔法で、体のいくつかの場所に鍼を刺すことによって鎮痛作用をおこし、患者の意識のあるままの状態で手術を行う。以下、その概要を述べる。
[山村秀夫・山田芳嗣]
鍼麻酔を成功させるためには、まず患者の協力が必要である。手術前に鍼麻酔の方法やその特徴などをよく説明し、手術中に不快感が現れる可能性のあることなども話しておく。また、あらかじめ、数か所の部位に鍼を試みて、その麻酔効果の状態をみておくことも、実施のときの参考となるし、患者の不安を取り除くのにも役だつ。
[山村秀夫・山田芳嗣]
鍼を刺す部位を選ぶには二つの方法がとられている。第一は、臓腑経絡(ぞうふけいらく)の理論によるものであり、手術部、あるいはその周りの経穴に関係する経絡、および手術の対象となる臓器と関係のある経穴を選ぶ方法である。
経穴は、いわゆる「つぼ」とよばれる部位であり、人体には300以上あり、経絡とは、互いに関係のある経穴を結んだ線のことである。中国医学では、体表の部位と内臓との間には密接な関係があり、この関係の道筋が経絡であるとしている。経絡は、おもなものが12(任脈と督脈をあわせると14)あって、人体を走る縦の線で表される。
経絡理論によれば、甲状腺(せん)の手術の経穴として扶突(ふとつ)や合谷(ごうこく)が選ばれるが、これは、手の腎(じん)経(経絡の一つ)が手術部位を走っているからである。また胃の手術では、胃経の足三里(そくさんり)を選ぶが、これは胃経が胃と直接つながっているためである。
第二は、解剖・生理学的な根拠から選ぶ方法である。すなわち、手術部位と同じ脊髄(せきずい)分節にある経穴を選ぶやり方である。たとえば、胸部の手術では、それに相応する背部の兪穴(ゆけつ)を選ぶわけである。このほか、直接手術部に行く神経幹に鍼を刺すことも行われる。
[山村秀夫・山田芳嗣]
経穴に鍼を刺すとだるい、しびれる、あるいは腫(は)れぼったいなどの感覚がおこる。これを「得気(とくき)」とよんでいる。得気が現れたら、捻転(ねんてん)(鍼を左右にひねって回す)したり、捻転しながら鍼を上下に動かすことにより刺激を加える。また、このような操作のかわりに、2本の鍼に電極をつないで電気刺激をしてもよい。刺激の強さは患者によって加減をする必要がある。刺激が強すぎると痛みをおこすし、弱すぎると鍼麻酔の効果は十分とならないためである。患者の鍼に対する感受性、忍耐力、手術時間の長さなどに応じて刺激量を適切に与えることもたいせつである。
[山村秀夫・山田芳嗣]
鍼麻酔は、それだけで手術が可能な場合もあるが、補助薬を併用することも少なくない。手術前の鎮静、鎮痛を目的として向精神薬、鎮痛薬が用いられるほか、分泌抑制のためにアトロピンなども用いられる。また、局部を切るときには、局所麻酔を行って手術の痛みをできるだけ少なくする試みも行われる。
[山村秀夫・山田芳嗣]
現在三つの機序(メカニズム)が考えられている。第一は、手術部に行く神経幹に鍼を刺したときは、ここで神経による痛みの伝導が遮断される。つまり、局所麻酔と同じ効果が生ずるわけである。第二は、痛みのある部位に軽い刺激を加えると痛みが和らぐというゲート・コントロール説による。つまり、痛いところに鍼という軽い刺激を加えることによって、痛みを和らげるわけである。第三は、鍼刺激によって脳内にモルフィン(モルヒネ)様物質が増加し、これが鎮痛作用にあずかるという考えである。
[山村秀夫・山田芳嗣]
利点としては、(1)簡単な装置で行うことができる、(2)薬の副作用がない、(3)意識がはっきりしているので、患者の協力が得られる、(4)麻酔後の鎮痛効果が長く続く、(5)出血が比較的少ない、などがあげられる。
一方、欠点としては、(1)麻酔効果が確実でなく、麻酔にかからない患者もいる、(2)麻酔の効果発現までに時間がかかる、(3)いわゆる「つぼ」の選択にかなりの習練を要する、(4)筋の弛緩(しかん)が得られない、(5)腹部の手術では、内臓を引っ張ったり、開腹口を強く広げたりすると患者は苦しがる。つまり、手術はできるだけ穏やかにやらなければならない、(6)手術部位を途中で変えることがむずかしい、などがあげられる。
鍼麻酔は、現在では吸入麻酔や静脈麻酔の調節性が向上したことにより、日本では用いられることはない。中国でもほとんど行われていないようである。
[山村秀夫・山田芳嗣]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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