東海村(読み)トウカイムラ

デジタル大辞泉 「東海村」の意味・読み・例文・類語

とうかい‐むら【東海村】

東海

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精選版 日本国語大辞典 「東海村」の意味・読み・例文・類語

とうかい‐むら【東海村】

  1. 茨城県那珂郡太平洋岸にある日本の原子力センターとなった村。昭和三一年、日本原子力研究所東海研究所が開設され、翌年日本最初の原子炉が運転された。同三八年日本最初の原子力発電が開始され、以後原子力関係施設活動をつづけている。

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日本歴史地名大系 「東海村」の解説

東海村
ひがしうみむら

[現在地名]糸魚川市東海

はや川右岸の河岸段丘上、不動ふどう(四五〇メートル)の北西麓。対岸堀切ほりきり村。古代北陸道は真光寺しんこうじ日光寺につこうじを経て早川を渡河して村内竜文寺りゆうもんじをたどったともされる。不動山の不動山城跡へは竜文寺集落にある諏訪神社からの道があり、大手の道とされる。正保国絵図に高二三四石余とある。天和三年郷帳では高二三五石一斗余。同年の検地帳写(明治大学刑事博物館蔵)によれば、田方二〇二石余・畑方三一石七斗余・色物一石三斗余である。諏訪神社は船倉ふなくら社ともいい、当村の上流岩本いわもとの諏訪神社の上船倉かみふなくら社に対して下船倉社ともいう。


東海村
とうかいむら

面積:三五・四四平方キロ

那珂郡の東端に位置する。東は太平洋、北は久慈川を隔てて日立市、南はほぼしん川を隔てて勝田市、西は那珂町に接する。村の西寄りを国道六号(旧岩城相馬街道)と国鉄常磐線が南北に走る。村の北側は久慈川流域の低地で、南側の西部には那珂台地の東端が張出し、東部には真崎まさき浦干拓地が広がる。台地端には谷津が発達して起伏が著しく、各所に貝塚古墳がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東海村」の意味・わかりやすい解説

東海〔村〕
とうかい

茨城県東部,久慈川河口部右岸にある村。 1955年石神村と村松村が合体して発足洪積台地が東へ緩傾斜し,先端の太平洋岸は砂丘地となっている。米,メロン,野菜などを産する。 1956年日本最初の原子力研究所建設地となり,沿岸部に日本原子力研究開発機構の施設が集まる。 JR常磐線,国道6号線,245号線が通る。面積 38.00km2人口 3万7891(2020)。

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世界大百科事典(旧版)内の東海村の言及

【原子力】より

…当時は,原子力平和利用の緒についたばかりであり,経済性に関する確たる見通しがある由もなく多くの論議をよんだが,結局,電気事業者の積極的開発意欲を反映して関連企業の共同出資による日本原子力発電が57年に発足した。そして,日本への輸出に最も熱心であったイギリスのコールダー・ホール型炉を導入することが決められ,東海1号炉として茨城県那珂郡東海村に建設されることになった。同炉が電気出力12.5万kWの発電を開始したのは66年である。…

※「東海村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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