東田中村(読み)ひがしたなかむら

日本歴史地名大系 「東田中村」の解説

東田中村
ひがしたなかむら

[現在地名]御殿場市東田中・東田中一―三丁目・おか一丁目

御殿場村の南に位置する。村域は新橋にいはし村を挟み北部の本村と南部の二の岡新田に分れ、両所を結んで横道が南北に通っていた。本村は沓間くつま横道よこみち(横通)塚本つかもとの三集落からなり、本村の南辺を鮎沢あゆざわ川が、二の岡新田を支流小山おやま川がそれぞれ東流する。二の岡新田南部の山地(箱根外輪山の西側)は田中山とよばれた。古くは北西方に位置する西田中村一村で田中村と称していたが、正保四年(一六四七)に相模小田原藩が行った検地の折、東・西の二村に分れた。地内には二岡にのおか神社(七所権現)曹洞宗の古刹宝持ほうじ院がある。永禄一〇年(一五六七)八月三日、葛山氏元は古沢市で市立てする諸商人が「茱萸沢・二岡前・萩原」を通行するよう命じている(「葛山氏元朱印状」芹沢文書)


東田中村
ひがしたなかむら

[現在地名]金津町東田中

加越山地と清滝きよたき川・熊坂くまさか川・竹田たけだ川の三川に囲まれ、清滝川右岸に位置する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では坪江つぼえ上之郷に含まれる。貞享三年(一六八六)以降幕府領でのち福井藩預領となった。正保郷帳には「田中村」と記される。元禄八年(一六九五)の越前国坂井郡前谷村郷村就御改指出之証文帳(土屋家文書)には当村について、清滝川より用水を引いていること、郷蔵一軒があり、浪人が一人居住していることを記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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